第14回 看護介護活動研究交流集会in宮城 記念講演 川嶋みどりさん 過去を忘れない者だけが未来の主人公になれる
一日目の記念講演は、日本赤十字看護大学名誉教授で健和会臨床看護学研究所所長の川嶋みどりさんが、「耳傾けよう平和への伝言―いのちと暮らしの守り手として受け継ぎ、創造し、発展させるために―」と題して行いました。自身の戦争体験から看護・介護と平和のつながりを語りました。要旨を紹介します。
(代田夏未記者)
周辺で起きているさまざまないやなことは、すべて戦争につながっています。戦争の記憶を語り継ぐことで平和の尊さを広める責務が私にはあります。
■軍国少女の私は
一九三一年、満州事変のときにソウルで生まれた私は軍国少女でした。一五年間続いた戦争で、小学校を五回、女学校を四回転校。毎日「勝利の日まで」を歌っていました。周りに戦争に異議を唱える人は誰もおらず、日本中が敗戦まで猪突猛進していました。
終戦後、長く続いた戦争で心も体も疲弊し、衣食住ともに困窮する中、ようやく復興の道を模索し始めた一九四八年。一七歳で看護の道を志し上京しました。三〇時間かけてたどり着いた東京は焼け野原でした。
敗戦直後の日本では、乳児死亡率が約八%、食糧難による飢え、衛生状態の劣悪により結核患者が多くいました。それから七〇年。戦後の改革で看護は専門職となり、看護教育も加速していきました。
■よい看護をめざして
一九五一年、日本赤十字女子専門学校(現・日本赤十字看護大学)を卒業し、日本赤十字社中央病院で働き始めました。
赤十字看護師の最大の美徳は「忍従」です。長時間労働や断続勤務、不払い残業は当たり前、全寮制で結婚との両立は論外など、多くの犠牲を強いられながらも何も言わない看護師集団でした。
しかし、寮の外では新憲法が公布され、女性の参政権も確立。「よい看護がしたい」「人間らしくありたい」と看護師たちは立ち上がりました。
一九六〇年一〇月、門前でスクラムを組み、女性として、看護師としてあり続けるため、私も仲間とともに歌いました。涙のスクラムです。思想や信条の違いはあっても、よりよい看護の実践は看護職に就く誰もが持つ共通の願いでした。
■歴史から平和を築く
戦場で多くのむごたらしい遺体の山を目の当たりにしたり、重症の兵士らに涙をのんで「元気になるから」とクレゾールを注射した従軍看護婦の苦渋の記憶も直接聞きました。従軍慰安婦の語るに語れない事実を聞いたのは、彼女を看とった看護師でした。
看護・介護の根源は同じです。その実践をささえる哲学は、生命の積極的肯定、平和であることです。生命の無限の可能性を信じ、人間の尊厳に畏敬の念を持ち続けることは、平和でなければできません。
看護師であり続けた日々はたたかいの日々でした。その中で、誰もが生きてよかった「生」を全うするのを支援することこそ、看護の役割と確信しています。
平和あっての人間の尊厳、いのち、暮らしであり、看護・介護は平和あってこそ実現するもの。過去を忘れない者だけが未来の主人公になれるのです。戦争は、多くの人びとの生きる権利を奪い、不条理な苦しみは非戦闘者にもおよびます。人間が人間らしく生きるために戦争は反対です。
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平和を守り抜く看護・介護職者として、主体性を持ち自発的に行動することで、いのちと暮らしを脅かす徴候を敏感につかみ、たたかいましょう。平和な社会と人間の尊厳は一つです。
かわしま・みどり
日本赤十字看護大学名誉教授、健和会臨床看護学研究所所長。一般社団法人日本て・あーて、TE・ARTE、推進協会代表。日本看護実践事例集積センター(web)代表も務める。
(民医連新聞 第1679号 2018年11月5日)