診察室から ともに飲む人との物語の記憶
好きなものの話。私はお酒と料理が好きだ。齢(よわい)四○半ば、疲れを感じる歳となり、ますます一献がやめられなくなっている。世の中にはおいしいものがたくさんある。情報・流通が身近になった現在、お酒も食材も以前は知り得なかったものが簡単に手に入るようになった。
例えば煎り酒。醤油が普及する以前に使われていた調味料だが、ここ最近注目され、スーパーでも見られるようになってきた。みょうが・大葉・水菜・生姜など香味野菜を和えて煎り酒をかけるだけで、自分がいっぱしの料理人になったような勘違いとともに、おいしくお酒をいただける。
合わせるお酒も、日本全国の地酒が自宅でいただけるようになった。北海道の「北斗随想」、神奈川の「黒とんぼ」、富山の「林」、広島の「安芸乃風雅」など、おいしいと感じたお酒をあげるときりがない。元来忘れっぽい性格の私が、お酒の銘柄だけはよく覚えているものだ、と原稿を書きながら不思議に思った。記憶と感情が密接に関係することは種々の分野の研究で示されている。それぞれのお酒を飲んだときの感情の記憶、物語の記憶なのだろう。
中でも宮城の「浦霞」というお酒には思い出が多い。東日本大震災の二年後に学会で仙台に赴いた。独りで立ち寄った居酒屋で、すでにできあがっていた二人の青年に混ざって楽しく飲んだ。震災の体験談も聞くことができたが、一人は消息不明だった家族をサーフボードに乗ってあちこち探しに出た、と語った。その会話が強く印象に残っている。単なる震災の体験談とは異なるように感じたからだ。個人の性格や社会の中での個人の在り方、個人の死生観などが付随した情報。個人の連続する生活史の一部として私に伝わり、彼の内面に触れ、種々の感情を共有したような独特の感覚が忘れられない。そんな彼が「結局これがうまい!」と勧めてくれた「浦霞」。忘れられるわけがない。
これからもいっしょに飲んだ人の内面にゆられながら酔いたいものだ。
(林洋平、富山協立病院)
(民医連新聞 第1678号 2018年10月15日)
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