ナショナル・ミニマム構築のための調査 「健康で文化的な生活」とは何か―を探る 河合 克義さん(明治学院大学学長特別補佐・名誉教授)
全日本民医連では、七~八月の期間で、全国生活と健康を守る会連合会と共同して、「健康で文化的な生活調査(健文調査)」にとりくんでいます。健文調査のねらいと、健康で文化的な生活を守る課題とは? プロジェクト委員の一人で明治学院大学学長特別補佐の河合克義さんの寄稿です。
二〇一八年、全日本民医連は、全国生活と健康を守る会連合会と共同で「健康で文化的な生活」全国調査を実施しています。調査を通して健康で文化的な生活とは何かを明らかにしようとするもので、調査の企画は「『健康で文化的な生活』全国調査研究委員会」が行っています。私は中心的にかかわっていますが、この調査研究委員会で、「ニーズの萎縮」ということが議論されています。
貧困状態にある人は、自らの「健康で文化的な生活」を小さく見積もってしまったり、時にはあえて意識しないようになったりということがあるのではないか。自分にとっての最低限度の「健康で文化的な生活」を自覚していないという現実がある。「ニーズ」は、「我慢する、耐える、考えない、諦める」というかたちで潜在化しているのではないかというのです。「健康で文化的な生活」全国調査プロジェクトでは、こうした「ニーズの萎縮」の現実を明らかにしたいと思っています。
制度による負担
低所得・貧困状態にある高齢者の生活の現実は、健康の問題もありますが、食べていくだけで文化的な活動がかなり制限されています。本人が「我慢する、耐える、考えない、諦める」ゆえに、「ニーズ」にはならないのです。
そこには、大きくは二つの問題があると私は考えます。一つは、「制度間調整」が日本では欠落しているということです。各制度がバラバラにいろいろな「負担」を国民に課していますが、制度の負担が、世帯にとってナショナル・ミニマム(国民的な最低限生活)の線を下回るかどうかを考慮していません。いろいろな制度が、世帯にいろいろな負担を強いているのです。制度の違いを超えて、国民的な最低限生活を下回らないよう、各制度の調整が求められているのではないでしょうか。
実際に、NHKの番組「老後破産の現実」で紹介された秋田の八四歳の女性は、年金が月二万五〇〇〇円しかないにもかかわらず、医療費の自己負担が月二五〇〇円も徴収されていました。介護保険も、年金で生活できるかどうかを考慮しない保険料設定があります。さらに、後期高齢者医療制度の保険料も問題です。このように、苦しい生活の中での重い負担の中、我慢し諦めてしまい「ニーズ」とならない現実があります。
イメージの具体化
このことは、二つ目の問題に行き着きます。現実の厳しさに萎縮せず、「健康で文化的な最低限度の生活」を、国民の側がどうイメージし、具体化するかが重要な課題となっている、ということです。
私は、三〇年以上前から全国各地の地域調査を通して、住民生活の実態を把握してきました。例えば二〇一一年には、山形県の全市町村のひとり暮らし高齢者(二〇パーセント抽出)の地域調査を行いました。回収率は九五パーセントでした。山形のような農村地域では、家の周りに畑があり、野菜を作っている世帯が多く、すべてを購入して生活をしている都市と違って、地方では食べていくには困らないようにも見えます。しかし、その現実は食べていくだけで精一杯で、およそ文化的な生活の要素が見えないのです。
他方、都市部でも経済的に不安定な生活をしている層は、文化的な生活をしているとは言えません。詳細は述べられませんが、私が実施してきた東京都港区でのひとり暮らし高齢者への全数調査でも見えてきたことでした。
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「ニーズの萎縮」を超えて、文化的な生活を要求して自覚化し、ミニマム水準に組み込むことを考える機会となるような調査にしたいと思っています。
調査を成功させるために、皆さんのご協力をお願いします。
(民医連新聞 第1674号 2018年8月20日)