こたつぬこ先生の社会見学~3・11後の民主主義 (14)世論には波がある
GW明けの5月は、安倍政権打倒を願う人たちにとって、実にやきもきする時期だったのではないでしょうか。朝日新聞のスクープに端を発し、首相官邸前の抗議に万単位の人が集まり、内閣支持率が急落した3~4月に比べると、5月はマスコミでも政権批判はピタリと止み、あまりデモも起こらず、月末の世論調査では内閣支持率はやや回復しましたから。3月頃のあの人々の怒りはどこにいったのか、これからどうなるのかという声は、そこかしこから聞こえてきました。
確かに安倍政権の支持率は、多少の回復をみましたが、これは想定内のもの。昨年あたりと比較してみると、二段くらい落ちた低いレベルで安定したということです。6月以降になれば再び下落に転じますから、そのとき、どこまで落ちるか、9月の自民党総裁選にむけて安倍総理が退陣するかどうか、本当の勝負がはじまります。
どんな国であれ、「政権批判」がぐわっともりあがるのは、長くて2カ月くらいなものです(昨年の韓国の朴大統領弾劾100万人抗議も、ピークはやはり2カ月くらいでした)。ところがこの1年足らずでその盛り上がりの波は少なくとも二度きています。一度目は昨年7月の都議選の頃、そして二度目は今年3月。わずかな期間にこの波を繰り返しながら、安倍政権への支持は一段、また一段と削られていっているのです。
そして、削られていくあいだに安倍改憲は勢いを失い、「圧力一辺倒」だった強気の北朝鮮政策はどこかに行ってしまいました。どうも安倍政権への世論の批判は、一定の期間をおいたサイクルで高まっているように思えます。
世論は、「かたち」にならなければ一つの声にはなりません。人々は別に安倍政権に納得しているわけではありません。複雑に展開する政治の矛盾が収束し、人々が一体何に怒っているのか、何が不満なのかがはっきりと見えたとき、わたしたちが発する政権批判の声が大衆的に広がります。わたしたちに必要なのは、その矛盾が収れんする瞬間を見抜き、そこで人々が怒りをかたちにすることができる器を用意することです。
第2次安倍政権が5年以上にわたり積み上げてきた「重し」は、そう簡単には割れません。水滴は確実に石を穿(うが)ち、ひび割れは確実に広がってはいるものの、石が割れない限りは「重し」を払いのけたことにはなりません。そして「重し」が自分の重さに耐えられなくなる瞬間は、確実に来るはずです。そのときに、わたしたちに何ができるか、やるべきことは何かを、知恵と工夫を凝らしながら練り上げる時間もまた大切なのです
こたつぬこ:本名は木下ちがや。政治学者。大月書店から『ポピュリズムと「民意」の政治学:3・11以後の民主主義』絶賛発売中!
Twitterアカウント@sangituyama
(民医連新聞 第1669号 2018年6月4日)
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