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民医連新聞

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新連載 ひめは今日も旅に出る (1)「ひめと呼ばれたあの日から」

 私は、ひめと呼ばれている。
 そのことを知ったのは、沖縄で41歳の誕生日を迎えた2015年秋。早朝からキャンプシュワブ前の辺野古座り込み行動に参加し、大好きな伊江島タッチューが見える綺麗な浜辺にたどりついた。友人を追いかけて、砂浜を1歩1歩踏みしめながら歩き、腰を下ろそうとしたが、ドテっと尻もちをついた。しばし海を眺め語らったあと、さぁ帰ろうと腰を上げたが、うまく立てず、そっと両手をついて立ち上がった。友人に気づかれないように。
 平静を装っていたが、頭の中は軽いパニックに。即座に、きっと運動不足だし、体力不足、睡眠不足、仕事のしすぎだから! と自分に言い聞かせて落ち着いた。
 その夜、友人たちから思いがけないサプライズバースデーを受けた。感激のあまり、「もう思い残すことない」と答えていた。
 あとでサプライズを仕組んだ友人がネタをばらしてくれた。にやにやしながら見せてくれたライングループ。その名も“姫会”。姫はなんと! 私だった。誕生日を祝うという理由にかこつけて、要は遊ばれていたのだ。少なからず衝撃を受けたが、みんなの愛を全面的に受けとめることにした。この日から、ひめと呼ばれるようになった。
 このゆかいな仲間たちは、中四国の民医連職員で、医学生担当というお仕事を通じて出会い、お茶やごはんに始まり、温泉につかり、旅に出かけた。時には沖縄の選挙応援に行くなど、日々の喜怒哀楽を分かち合い、切磋琢磨する大切な存在となった。
 私は1996年、岡山県民医連事務局に入局。石の上にも3年を合言葉に、気づけば看護分野と総務を12年間。やっぱり民医連ってすごいかもと思い始めた頃、医学生担当に。それから怒涛の8年を過ごし、気がつけばあっという間の20年だった。我ながらよくがんばったと祝ったものの、残念ながら過去形になってしまった。
 ひめと呼ばれたあの日から身体に生じた違和感は、やがて私に大きな変化を強いた。それは、新しい旅のはじまりでもあった。


文●そねともこ。1974年生まれ、岡山県在住。夫・長久啓太、猫2匹と暮らす。2016年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)との診断をうける。

(民医連新聞 第1665号 2018年4月2日)