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民医連新聞

民医連新聞

全体会の発言から

名護市長選挙をたたかって

沖縄・座波政美(医師)

 二月の名護市長選では全国支援を受けたものの、稲嶺進候補の三選に至りませんでした。相手候補は利益誘導選挙を行い新基地隠しを徹底。市民の苦しみは、消費税増税など安倍政治のせいなのに「二期八年の稲嶺市政が経済停滞を招いた」とデマを流しました。
 沖縄民医連は五者共闘を結成し、オール沖縄の一翼を担いました。民医連運動、憲法、平和、社会保障運動の積み重ねが大事だと改めて感じた選挙でした。県内の世論調査では、「新基地建設反対」の人は六〇%台です。当選した新市長も「政府と一定の距離を置く」と発言せざるを得ませんでした。翁長知事の支持率も依然として、過半数を超えています。
 沖縄県民はこれまで、何度も何度も民意を示してきました。沖縄に暮らしていると、国民主権、人権、地方自治、そして憲法が崩れていくことを実感します。一一月の県知事選挙は本当の正念場。決して諦めてはいません。今後ともよろしくお願いいたします。

地震から2年、現状と課題

熊本・光永隆丸(医師)

 職員も多く被災する中、医療活動の継続、被災者支援をすすめることができたのは、全日本民医連の機敏な対応と、心を一つにした全国支援の力でした。
 震災から二年近くを経て「被災者本意の復興」を第一に掲げ、生活再建、いのちと健康を守ることを重視し、復興支援にとりくんできました。犠牲者は当初は直接死の五〇人だったのが、関連死でその後二五〇人近くになりました。今も四万人以上の人たちが仮設住宅で不便な生活を強いられています。
 県連で行った仮設住宅での調査では、約七〇%に持病があり、震災前より病状が悪化したとの回答が五〇%近くに及んでいます。熊本県は昨年九月で医療費の自己負担免除を一方的に打ち切りました。調査でも、七割以上が医療費を負担に感じ、受診抑制せざるを得ないとし、八割以上が免除の復活を希望しています。
 熊本地震はさまざまな教訓と結果を与えました。地震は全国のいつ、どこで起きても不思議はありません。自らのこととして、必要な対策をとることを改めて訴えたいと思います。

訪問調査が語る被災者の苦しみ

宮城・矢崎とも子(医師)

 仮設住宅の訪問調査から、数えて四回目になる災害公営住宅調査の結果、経済的困難を抱える独居・老老高齢者世帯が多いこと、そして経済的負担が高い人ほど、困った時に相談相手がいない割合が高くなっていることが分かりました。
 七〇代の女性は、「震災ですべて流され、残ったものは、いのちと当日身につけていたものだけ」。生活がとても苦しい五〇代男性は、「契約社員で収入は生活保護受給者より少ないが、住民税やNHKの受信料も徴収されている。年齢的にダブルワークする体力がなく、生活は大変苦しい。行政が家賃を上げるのは理解できない」。八〇代の人は、「収入が最低生活レベルなので毎日苦痛。病院に行きたいが、支払いが多くなるのでがまん。生活に余裕がない高齢者には、家賃の減免を続け生活できるようにしてほしい」と。
 「医療費免除制度は国保だけですが、非課税世帯もその対象に含めてほしい」という四〇代女性は、「公営復興住宅入居後六年目の家賃値上げはとても不安。医療費免除も復活を」と語っています。

セルフネグレクトを分析して

京都・中川裕美子(医師)

 受療権を守る入り口である「アウトリーチ活動」について、京都民医連第二中央病院でのセルフネグレクトへのとりくみについて報告します。
 二〇一三年一月~一六年六月の期間、当院に入院したり、訪問診療を行ったり、外来で、散乱した居住空間に住んでいることが判明した二一人の患者について原因を分析しました。
 病名は四分の三が「ためこみ症」で、その他は統合失調症や認知症、脳膿瘍。
 たとえば一例として、独身で独居の九〇代女性患者がいました。キーパーソンは遠方に住む甥でした。膝関節の手術後に当院の回復期リハビリ病棟に入院。初期の家屋調査で判明したのですが、室内にはゴミが散乱しており、ネズミに食い荒らされ、糞尿まみれの状態でした。本人には軽度の認知機能の低下はあるもののADLは「屋内自立」でした。軽トラック四台分のゴミをスタッフ七人がかりで片付けました。
 このように、入院をきっかけにセルフネグレクトの患者が医療・介護につながることができます。地域ではつながりのない独居者が、社会とつながることができるのです。医学的な診断が重要で「単なる迷惑な隣人」ではなく、疾患を持った「患者」であると地域にもとらえてもらう。そして、多職種でとりくむ必要があります。
 私の病院では院長を先頭に、このようなケースに多職種でとりくんでいます。セルフネグレクトの人の生活の状態を回復させ、きちんと医療を受けるためには「必要な仕事」という認識が、職員にも浸透してきています。

認知症の困難に正面から向かう

神奈川・宮澤由美(医師)

 認知症のとりくみについて、総会方針を補強する立場で発言します。
 認知症へのとりくみは、「日常の医療介護実践の大きな課題です」との位置づけがされました。昨今の認知症をめぐる情勢は、特に二〇二五年には予備軍を含めると、一〇〇〇万人時代になると言われています。若年性認知症の人が抱えている、高齢者とは違う就労や心理的な課題、認知症の医療・介護をささえる介護職員不足の問題、経済的な理由から施設入所できず、在宅で介護生活を続けざるを得ない人々の課題など、認知症になって困っている人たちに私たちは日常診療、介護の場面でもよく遭遇しています。
 WHO(世界保健機構)が認知症を公衆衛生対策上の優先課題と位置づけ、認知症の人に優しい社会づくりを各国に促す「行動計画案」の策定は、認知症が世界的な課題であることを示しています。
 このような情勢を背景に、民医連が正面から認知症をめぐる困難に立ち向かい、困っている当事者や介護者に寄り添う実践的な経験をまとめた『全日本民医連認知症実践ハンドブック』を作成中です。刊行後は、ぜひ活用して、全国津々浦々で無差別・平等の地域包括ケアづくりに役立てていただきたいと思います。方針にもこのハンドブックについての加筆を提案いたします。

死亡事例調査から見えた課題

山梨・名取大輔(理学療法士)

 石和共立病院は人口七万人の市内にあり、一般病棟五〇床と回復期病棟五〇床の中小病院です。二〇一六年一〇月より、毎週行っている医局会議で、死亡診断書つづりをもとに死亡事例報告を行っています。
 二〇一七年度は九〇事例のうち、二二人が死体検案事例で、前年の二倍になりました。年齢は三四~九一歳と幅広く、六〇歳以下は六人でした。死亡原因は一二人が病死、残り一〇人の半数は自殺、死因不明。警察からの問い合わせも八件あり、ほとんどが孤独死でした。どの事例も当院より七㎞圏内で、身近で起きていることがわかりました。
 基礎疾患が原因と考えられる事例のうち、ほとんどが通院していませんでした。生活に困っていても誰にも相談できず、行政のセーフティーネットも利用できないなど、孤立している状況が考えられます。貧困や孤立が見えにくい中、可視化するとりくみやSDHの視点で気づきを深めること、そして社会保障の改善が必要だと考えます。

有償ボランティアの組織運営

大阪・瀬藤修平(事務)

 ほくせつ医療生協は二〇一五年一一月、組合員同士の有償ボランティア組織「支えあいの会」を立ち上げました。二〇一七年度は一月末現在、一四六人の利用会員を六二人の支援会員がささえ、三七二回の活動を行っています。
 発足にあたって、「地域包括支援センターとつながろう」と、豊中市内にある一四カ所の地域包括支援センターとサテライト事業所を訪問しました。発足以来、会への問い合わせのほとんどが「定期的な掃除」「草抜き」「通院介助」を含む「外出支援」です。通院介助は医療機関までの往復は介護保険で対応できますが、院内介助は適用外です。現在、通院介助は医療、介護の資格を持つ人、医療機関などに勤務経験のある人、家族介護経験者に対応してもらっています。この「通院介助」問題を表面化させ、国や自治体に対して責任ある対応を求めることが必要だと思います。
 無差別・平等の地域包括ケアの実現に向け、改善を求める運動の展開を呼びかけたいと思います。

経営改善に必要な視点

北海道・田村裕昭(医師)

 北海道勤医協は五年連続の赤字、勤医協中央病院の新築を契機に拡大した累積債務の克服が大きな課題です。勤医協中央病院の前年度決算は、必要利益に三・一億円不足という厳しい到達でした。二〇一七年度の経営改善は待ったなしの課題となり、一月末現在、当院は累計で七六〇〇万円の黒字、対前年比で三・五億円の利益改善を成し遂げました。法人全体でも対前年五・六億円の利益改善と黒字経営が見通せる状況になっています。
 経営改善の第一の要因は、「病院から地域へ、そして住民のニーズを地域とともに実現する」という立場で活動し、二〇一七年は七七一九件の救急搬送患者を受け入れました。第二の要因は、社会的困難を抱えた障害者、高齢者など、決して断ることなく、受け続けていることです。第三の要因は、法人あげての無料低額診療事業にとりくみ、急性期医療を必要とする困難事例を勤医協中央病院へ集中させたことです。患者がいないのではなく、患者になれない人がどれだけたくさんいるのか。私たちの灯台の光はまだ弱すぎます。無差別・平等の医療の価値と役割に確信し、地域に大胆に働きかけていきたいと思います。

医学生のつどいと奨学生活動

埼玉・守谷能和(医師)

 全日本民医連医学生委員、医学生のつどい(民医連と医療と研修を考える医学生のつどい)を五年前から担当しています。つどいの現状と奨学生活動について報告します。
 医学生のつどいは、全国の民医連の医師奨学生を中心に企画・運営される学習・交流企画です。一九八〇年にはじまり、今年度で三八回目を迎えます。医学教育カリキュラムの過密化や医学生生活の多忙化を考慮して、三年前から三月の本番企画を中心にした年四回開催のスタイルに変更し、昨年度は「いのちの平等」を年間テーマに、憲法、貧困、障害などのテーマで学びました。
 今年度のテーマは、「医師の使命~今の時代に求められる私たちの役割」で、三月には沖縄の基地問題を中心に人権について学びます。多くの医学生が民医連や日本の医療について真正面から考える、民医連の医療を担う医学生の成長にとって中心的なとりくみとなっています。
 つどいの企画・運営を担う事務局学生の変化は顕著で、「仲間とともに社会をよくしたい」「民医連の綱領を学んで、民医連を大きくしたい」と奨学生をまとめる中心的な役割を果たすようになってきています。
 二〇一八年一月現在、民医連史上最高となる四八〇人の奨学生が誕生し、五〇〇人に向けた運動をすすめています。増やした奨学生を育て、後継者として迎え入れるためには、学生時代の学びや仲間づくりが非常に重要です。医学生のつどいを中心にしつつ、全国で奨学生活動が盛んに行われることを期待しています。
 埼玉協同病院ではここ数年連続でフルマッチになり、毎年七人の新卒医師を迎え入れ、現在一四人の初期研修医が研修しています。その中心を担っているのも奨学生出身者です。多様性を前提とした医師集団を構築するためにも、やはり核は必要です。引き続き育てる奨学生活動を行っていきます。

SDHを意識した医療活動

青森・堺剛志(医師)

 青森県は短命県と言われており、これを返上するため県をあげてとりくんでいます。病院のある津軽地域は市町村別の調査でも、大腸がんでの死亡率はたいへん高い地域です。外科医として大腸がんを診ることも多いですが、早期発見は難しく、転移しているなど、なぜこういう患者が多くなっているのかと、疑問に思っていました。
 そこで、当院にかかっている大腸がんの手術をした患者の経済的背景と検診受診率の関係を調べました。低所得者ほど検診受診率が低く、有症状での受診が多い傾向がありました。明らかに貧困がリスクになっていることがわかりました。この結果を外科学会で発表したところ、座長から「民医連にしかできない研究」と評価を受けました。民医連から、このようなエビデンスを発信していくことが重要だと考えています。
 医師養成についてです。当院はHPHネットワークに参加し、医局で学習会をしたり、SVS(ソーシャルバイタルサイン)を取り入れてデータベースを作成中です。この中心が、総合診療の後期研修医たちです。彼らは奨学生ではありませんでした。医学対が重要なのは当然ですが、初期研修、後期研修を通じ、社会的困難を抱えた患者さんの事例を通して学ぶ中で必要性を感じ、SDHのとりくみをがんばるようになったのです。後期研修の定着率の低下が言われていますが、初期研修から後期研修にかけて連続した対策、とりくみが重要なのではないかと感じています。
 五月には、県連全体の医師が集まる医師総会でも学習会を企画しています。とはいえ、SDHの考え方は全職員に浸透しているとは言えません。研修医や多職種と連携してとりくみを広げたいと考えています。

特養あずみの里裁判について

長野・手塚健太郎(介護福祉士)

 特養あずみの里刑事裁判の無罪を求める要請署名、カンパ、タペストリー、栄養食材など多彩な支援、ありがとうございます。
 刑事裁判が始まってから、丸三年が経過しました。公判は一三回目を終えました。公判時には全国から一〇〇人近い方々が駆けつけてくれました。
 第八回公判より証人尋問が始まり、当日、いっしょにおやつの介助をしていた介護職員や、はじめに異変に気づいた介護職員、遺族や救急隊、特養介護主任などへの尋問、被告人質問なども行われました。尋問に備え、私たちは勤務終了後や休日に弁護団と打ち合わせを重ねてきました。検察側はなんとしても有罪に仕向けようと、声を荒らげるなどの姿がありましたが、尋問を受けた職員は真実を証言しました。
 先日、被告人質問が長時間にわたり行われました。不安と緊張の中、一つ一つの質問を冷静に理解し、答弁しました。公判が終了し、法廷から出てきた時に、いっしょにいた看護集団、支援者に迎えられ、こらえきれず涙を流していました。全国からの傍聴支援が力になっています。引き続き、無罪を勝ち取る支援をお願いいたします。

病院リハ室でSDHを学ぶ

鳥取・横山洋介(理学療法士)

 鳥取生協病院リハビリテーション室では、経験年数の短い若い職員が多く、機能障害や能力障害に目をとられ、患者の社会的背景からとらえる視点が不十分だと感じていました。そこでSDHの視点、考え方を用いた症例発表や学習会を定期的に開催し、民医連セラピスト集団として資質の向上にとりくみました。
 二〇一七年度、職場会議を利用して、三〇分程度のSDHに関する症例検討会を実施しました。退院支援の観点で、身体機能面やADL能力ではなく、患者の疾病要因や退院阻害因子における社会的背景に重きをおき、グループワークの時間をとりました。成果として、一つめに経済的な問題や医療・介護・生活保護などの社会保障制度の問題にまで触れることができるようになり、患者の社会的背景を踏まえた考察が可能になってきました。二つめに他職種や患者・家族からの情報収集内容に変化が出てきました。三つめに退院後にどのような生活支援が必要かを議論できるようになり、生活を治す、という視点がもてるようになりました。

民医連看護の継承と発展めざす

青森・伊藤礼子(看護師)

 全日本民医連看護分野でブックレット『民医連のめざす看護とその基本となるもの』を発刊しました。若い世代が増え、看護幹部の世代交代がすすむ中、民医連看護を可視化し継承するためのテキスト、日常の看護実践の場での指標として活用したいと思います。
 青森民医連看護委員会では二〇一七年春、「看護・介護一五の物語」という事例集を作成しました。現場の看護、介護職員が心に残る人たちについて書き記したものです。組合員さんにも読んでもらい、「職員ががんばっているのがよく分かった」と、距離が縮まった気がします。
 医療の高度化・複雑化、国がすすめる医療福祉政策の貧弱化への対応など、業務に追われ「なぜここまでしなくてはならないのか」と思うこともあります。事例を可視化したことは、自分たちの看護実践を振り返り、人権を考える良い機会になりました。
 事例から学ぶことが民医連の特徴であり、強みです。私は精神科に勤務しています。大阪の寝屋川市で昨年起きた精神疾患の子どもが監禁され衰弱死した事件は、とてもショックでした。民医連の事業所につながっていれば、と思わずにはいられませんでした。地域には、どこにも相談できずにいる人がたくさんいると思います。誰もが自分らしく幸福に暮らせるよう、憲法や社会保障を守るための活動の重要性を次世代につないでいきたいと思います。

病院勤務の介護福祉士の役割は

北海道・伊藤リカ(看護師)

 入院中のケアには重度の認知症対応を含む生活支援の強化が求められ、多職種の連携、協働によるケアの質向上が課題です。また、介護職員の働く場は回復期、慢性期にとどまらず急性期病棟へと拡大しています。
 当法人には八五人の介護福祉士(正規職員)が働いており、七割が病院勤務です。二〇一四年から急性期病棟にも勤務しています。しかし、介護福祉士の専門性が生かされているとは言いがたい状況でした。そこで、看護委員を中心に、病院勤務の介護福祉士の専門性を生かした生活モデルの視点の強化によるケアの質向上を検討しました。唯一の介護福祉士の師長職(介護長)にも委員として参加してもらい、主任集団とも議論を重ね、介護福祉士の役割発揮は生活モデルの視点を強化し、ケアの質向上につながる生活モデルの視点強化は、患者のSVSを捉えたSDHの実感にもつながると確認できました。
 具体策として、介護福祉士養成校の教員を招き、介護福祉士だけでなく、ともに働く看護師もいっしょに学びました。主任集団を中心に学習は伝達され、各事業所では工夫をしながら看護と介護の協働による「看護・介護過程」の展開にとりくんでいます。
 このとりくみで介護福祉士の主任集団は自らの専門性に誇りを持ち、その発揮に意欲を持って生き生きと活動しており、介護福祉士としてのやりがいを自らの言葉で語っています。

全職員の力で経営再建めざす

福島・鹿又達治(事務)

 郡山医療生協は、長らく組織の無管理な状態を常態化させて、住民の貴重な財産を食いつぶし、後戻りできない状況をつくり出してしまいました。
 兆候は震災前からありました。赤字が出ても中長期的な視点ではなく、単年度予算で済ませるなど、将来構想を描けない状態でした。その後、資金計画も不十分な状態で病院のリニューアルに着手。一気に資金流出が顕著になりました。
 三年前に全日本や地協の協力で経営調査をし、助言をもらったにもかかわらず、改善を実行できず、現在、資金ショート寸前の状態です。ここには、組織の管理体制、指揮命令系統の不明確さ、トップの機能不全が放置され、幹部や職員が危機意識を共有してこなかったことがあります。
 再度、昨年一二月に全日本民医連の現地調査を受けました。自力再建は困難との診断となり、経営対策委員会が設置されました。
 組織の管理体制を変更し、新たな病院事務長を任用し、総務部長、経理課長と体制を確立しました。全日本経営部の支援を受けた予算作りは、経営管理手法はもちろん基礎的な会計管理の未確立、事業所ごとの独立会計の仕組みもない状態からの作業でした。
 病院では院長含め、病院の管理体制と機能が未確立の状態が続いています。早急に体制の確立が必要です。先日、臨時の医局会議と職責者会議を開催。予算方針を提起し、議論を始めました。初めての経験に戸惑いながらも、率直な意見と自らがやるべきことの提案など全職員参加の経営への第一歩を踏み出したところです。
 四五年前、健康で住み続けられるまちをつくるための砦として立ち上げた郡山医療生協、事業所をつぶすわけにはいきません。全職員・組合員に依拠し、経営再建を必ず成し遂げ、郡山の地に確固とした民医連を建設し、〝核害〟のまちで住民に寄り添い、地域で役割を果たせる郡山医療生協をつくり上げたいと思います。

医科・歯科・介護連携すすめよう

福岡・南郷寿(歯科医師)

 口腔の健康と全身疾患の関係が次々明らかになり、健康維持・回復のための歯科医療への関心と重要性が高まっています。米の山歯科は、二年前に診療所から病院歯科になりました。診療所のころから医科・歯科・介護連携をうたってきましたが、すすんでいる実感がありませんでした。
 病院歯科になると、病棟に行く機会が増え、入院患者さんや病院職員と日常的に接するようになり、互いの認識のずれが見え、連携しやすくなりました。問題がわかれば対応が的確になります。例えば、急に食欲が落ちた入院患者がいたが、バイタルや検査で異常はなく、原因がわからない、と相談がありました。診ると入れ歯が合わずにできた大きな傷があり、噛むと痛むようでした。歯科職員ならひと目でわかることですが、医科には口腔内の原因を特定することは難しいことだと知りました。
 また、歯が大きく動揺して食事に支障があり、抜けそうで口腔ケアが怖い、という相談がありました。抜歯が望ましいと判断し、全身状態の確認、主治医への連絡、患者家族への同意の取り付けなどを行い、方針決定から約二〇分で抜歯することができました。
 こうした経験を重ねると、医科は口腔への関心を高め、口腔ケアを中心に医科・歯科共同で対応する例や、相談も増え、さらに話しやすくなりました。同時に歯科側も、医科に相談する意識になりました。
 これは法人内だけでなく、訪問歯科診療を通して法人外の病院や施設などにも広がり、講話や口腔ケア講習の依頼や担当者会議への参加要請が来るようにもなりました。また、病院に入ったことで、医療安全、感染予防の基準が厳しくなり、意識が高まったことで、安全・安心の医療の推進にもつながりました。
 医科・歯科・介護連携を考える際、物理的な距離は大切で、顔を合わせられるよう、医科・歯科合同の医局づくりや多職種カンファレンスなどの機会を増やす必要があると思います。
 歯科はまだまだ歯科以外との意思疎通が下手です。「歯科事業所完結型」を脱却するためにも、医科や介護からの働きかけを。必ずお役に立てると思います。

医局でSDHを位置づけて

大阪・向井明彦(医師)

 大阪にあるケアミックスの病院で、都市という立地もあり医師はツテや紹介会社で確保できています。しかし、一六人の常勤医師のうち民医連育ちは半数です。そんな中、診療現場に問題が発生しました。
 療養指導や診療の予約が守れなかった患者さんに望ましくない対応を行った主治医もあらわれたのです。病院管理者として放置できないと判断し、医局会を大きく変えました。昨年の医局の集中討議の課題をHPHとSDHとし、西淀病院の医師に講義してもらいました。さらに、病院としてHPHにとりくみ、①健康増進、②禁酒・禁煙、③がん撲滅のグループに分担して、医師にはいずれかのグループに入ってもらい、チームリーダーを任せました。そして、毎月の医局会議で各グループの報告をすることにしました。当初は消極的な意見が出たものの、次第に「病気だけ診たらいい」という薄い診療の内容が「タバコを減らしてる?」「がん検診を受けましたか?」など声かけができるように変化しました。
 今年は日本HPHに病院が加盟することを医局全員一致で決めました。HPHを学ぶことで、これまでなにげなく行ってきた診療行為が患者に大事な意味を持つと確信につながりました。また民医連に途中参加した医師が民医連になじむには、HPHとSDHへの配慮ができるよう、業務上の工夫が必要で、そのことで患者中心の医療は可能になると考えます。

地域ととりくみ自治体懇談

北海道・鈴木英紀(事務)

 二〇一七年八月、介護ウエーブ推進委員会と労組で、介護事業所訪問にとりくみました。介護事業所の経営難、職員確保の課題などを共有し、自治体に声を届けることが目的。介護職員の処遇改善を求める国への意見書提出を不採択とした北見市議会に呼びかける意義もありました。
 ヘルパーやデイサービスを中心に、市内に三〇〇カ所近くある介護事業所のうち五七カ所を訪問。「総合事業の影響で収益が四割減った」「職員が確保できない」などの声がありました。また陳情書も九二事業所から届きました。
 九月の議会を前に意見書を提出し、本会議で全会一致で採択。意見書採択を受け、北見市と懇談。事業所訪問で出た声を、自治体に届けました。北見市と介護事業所が直接意見交換する場ができるなど、運動は前進しました。要求実現に向けた運動を、訪問した職員や地域の介護事業所と共有できました。介護保険の改善に向けてとりくみを広げたいと思います。

困窮者訪問を育成にとりいれる

長野・小野高聰(事務)

 長野医療生協は、生活困窮や受療権侵害の事例を社保活動と職員制度研修に生かすとりくみを行ってきました。「気になる患者」訪問を一〇年間続けることで、事例をつかみ報告することを意識づけています。
 昨年度は一五〇の事例を冊子にまとめ、地元国会議員や長野市役所との懇談で紹介しながら、制度改善の必要性を訴えました。社保委員会では、「子どもの貧困」をテーマにしたグループが学習をすすめ、発信する活動をすすめました。
 長野県における子ども・障がい者の医療費窓口無料化実現の署名運動は、私たち社保委員会が子どもの貧困を学習し広げてきた情熱が職員に伝わり、法人では一万三〇〇〇筆もの署名のとりくみとなり、二〇年も続いた償還払い制度を現物給付制度に転換。
 教育では、三年目職員の研修で困難事例を持ち寄って共有、無差別・平等の医療・介護の実現の必要性を学んでいます。係長・主任研修では、職場での役割や民医連職員としての立ち位置を確認する目的で、四〇人ほどの多職種で一つの事例を検討しています。

三〇〇〇万署名のとりくみ

兵庫・瀬井宏幸(事務)

 尼崎医療生協では、三〇〇〇万人署名は改憲を発議させず、憲法改悪を阻止するために必須の数と受け止め、戦争法案反対署名の一・五倍の目標設定。署名用紙を三枚ずつ返信用封筒に全患者に手渡した診療所では、九〇〇筆目標があっという間に超過達成し、一九〇〇筆になりました。本部職員は、毎日三〇分病院外来に出向き、一カ月で一〇〇〇筆を超えました。共同組織も五〇〇筆近くあつめた支部も。生協の機関誌に署名と返信用封筒をおりこんだところ、約六〇〇通二二〇〇筆が届いています。法人全体の署名到達は、戦争法案反対署名の到達以上の一万五〇〇〇筆を超えました。医局でも三人の医師が名乗りをあげ、診察室で署名を渡しはじめています。また受付でも全患者に署名を訴えています。
 諸活動に忙しい私たちですが、改憲を阻止するとりくみは最大級の最重要課題です。広島の地で全日本民医連総会が開催され、改憲を阻止する歴史に残る集会であったと振り返ることができるよう、総会参加者全員が、三〇〇〇万人署名の先頭に立ちましょう。

(民医連新聞 第1664号 2018年3月19日)