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民医連新聞

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こたつぬこ先生の社会見学~3・11後の民主主義 (11)変わらないためには、変わらなければならない

 2017年の政治は、息をつく暇もないほどの変化と激動にみまわれました。総選挙を間にはさんだ野党の再編は現在進行形であり、それは政党間のみならず、市民や市民の運動にも大きな影響を及ぼしています。その過程においてわたしたちは「変わること」を求められます。既存の人間関係を超えて、あらたな人々とつながっていく。そのためには「わたしたちも変わらなければならない」と。
 ある講演会でこんな質問を受けました。「でも、変わらなきゃいけない、変わらなきゃいけないと言われても…そんなに何でも変えなきゃいけないなんて、安倍総理の憲法変えろというのと変わらないじゃないか」。
 確かに、安倍総理だけではなく、これまでの改憲論はみな「時代の変化に対応し…変わらなければならない」という枕詞がついてきました。そして憲法だけではなく、社会保障、働き方等々、わたしたちの生活にかかわること全般において「変わること」が―まるでそれ自体が目的であるかのように―強要されています。こうした「変わること」の強要が人々の内面にまで浸透してしまっていることは、いわゆる「自己啓発本」の売り上げが、出版不況にもかかわらずこの四半世紀で3倍にまで激増していることからもみてとれます。だから質問された方の「なんでもかんでも変わればいいのか」という疑念は、社会運動に携わる人ならば誰でも持って当然でしょう。
 なぜそうした疑念がわくのか。世間で強要される「変わらなければならない」というものの中身が、自由や平等、そして連帯という精神に反しているからです。だから子ども食堂をみんなで運営したり、広場にたくさん人があつまるという、自由や平等、連帯を守ろうとする営みは、支配的な「変わらなければならない」リストには加えてもらえません。自己責任の徹底、競争の強化、社会的弱者や地域の切り捨ては、民主主義を根底から破壊していきます。
 だから「変わらないためには、変わらなければならない」。他人を尊重し、他人と交わり、対話することこそが古来から変わらぬ民主主義の土台であり、人間の条件です。そしてその変わらぬ人間の条件を守るためには、支配的な「変わらなければならない」の強要により切り捨てられ、打ち捨てられた人々とつながらなければならない。変化を求める風が強いからこそ、人間として変わってはならないものが何かをしっかりと見定め、そこから新たな連帯を模索していくこと。わたしたちは変わらないものをたくさんの人たちと一緒に見いだせたとき、はじめて変わることができるのです。

こたつぬこ:本名は木下ちがや。政治学者。大月書店から『ポピュリズムと「民意」の政治学:3・11以後の民主主義』絶賛発売中!
Twitterアカウント@sangituyama

(民医連新聞 第1663号 2018年3月5日)