Borders 時々透明 多民族国家で生まれて (20)透明になった妻
息子の小学校始業に合わせ、僕と息子は妻より数週間早く日本からセントルイスへ戻った。小学校では3年生以下の生徒は親が送り迎えすることになっていたため、送り迎えは僕の生活の一部となった。それで他の親と立ち話をしたり先生の顔を覚えたりした。妻が加わってからしばらく2人でしていた送迎は、僕が大学院で忙しくなり、妻の役目になった。
ある日、久々に早く帰宅し2人で迎えに行った。息子はいつも通り校庭の遊具で遊びたいと言った。3人で歩き出したが、僕の靴の紐が解けた。結んでいる間に2人は先に進み、同級生のお母さんとすれ違った。彼女には以前、妻を紹介したことがある。ところが、狭い歩道でぶつからないように注意を払った妻のことを、彼女は見向きもせずにまっすぐ歩いた。完全に無視されたようだった。どうしてだろう、と僕は思った。
とりとめないことだったが、こうしたことが時々起こることに後で気づいた。ある人には、妻は煙のように空気に混じりこんで見えなくなる。もちろん人の心を手紙のように読めるわけじゃないが、推測するとあのお母さんは意図的に妻を無視したわけじゃないだろう。違う場では妻と優しく会話する時もあったから。
アメリカで社会問題を語る時、特定した民族や人種を通して考える傾向がある。例えば人種差別なら、白人によるアフリカンアメリカンの迫害を、移民制度なら、中・南米の人を想像するのが一般的だ。アジア系の人々も差別されたり移民したりするにも関わらず、それが問題視されるのは稀で、存在は薄い。日本人の妻が校庭で透明になることは、この歪んだ現状の表出なのか? それとも僕の考えすぎか?
その後、再び家族で日本に戻る直前、僕は実家で古い物を整理した。そこで思いがけず高校の年報を発見した。全学生の写真と名前が載っている。9割以上は白人で、残りはアフリカンアメリカン、インド系、ラテン系だった記憶があった。
アジア系はいたのかと記憶の埃っぽい隅まで探ってみたが、1人も思い出せなかった。ところが、年報を見ると現実は記憶と違い、多くはないが居たのだ。同級生にも居た。しかし、他のいわゆる有色人種の学生のほぼ全員は、その中の数人が一緒にスポーツをしたり授業を取ったりしたことがあるからか、直接に関わりがなかったとしても顔や名前を思い出せた。
妻が抱いた透明な気分を、アジア系の同級生に味わわせてしまったのかと不安に思った。
文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。セントルイス・ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年生まれ、ネブラスカ州育ち
(民医連新聞 第1661号 2018年2月5日)
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