9条改憲 NO! 3000万署名 平和守る1筆集めきろう 東京・健友会 街へ! 23人で駅頭署名
「安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」(三〇〇〇万人署名)のとりくみが広がっています。目標の三〇〇〇万人とは、先の総選挙で投票した約六〇〇〇万の半数にあたる数。「仕事や暮らしのすぐ隣から憲法のことを考えられるように」工夫しながら、一人でも多くの人と語り合おうと動いている東京ほくと医療生協を訪ねました。(丸山聡子記者)
東京ほくと医療生協
王子生協病院の回復期リハビリテーション病棟に行くと、署名コーナーがあります。「私たちは、憲法9条を守る事業所・職場です」と書いた卓上ノボリ(東京民医連作成)や手製のオブジェも。
「病棟の交流スペースに複数の新聞を置くようにしたら、患者さんが熱心に読んでいます。さりげなく憲法の話題を持ちかけることもあります」と話すのは吉倉里絵師長。大山美宏前理事長も食堂で署名を呼びかけています。
■回リハ病棟の仲間が奮闘
院内の社保委員会では、憲法や平和のことを取り上げたテレビ番組を三〇分程度に編集し、毎月の上映会はリハビリ室で実施。
会議室や別の建物ではなくリハ室でやれば、仕事が残っている人もチラチラ見ることができ、帰り際に参加もしやすい、というねらい。「リハビリの原則は、全人的復権を守ること。戦争はその真逆で全てを破壊する。だから九条は絶対守りたい」と社保委員の栁原澪さん(作業療法士)。
すでに五〇筆以上集めている仲間もいます。介護福祉士の田所香代子さんは、ベッドサイドや食堂で、患者さんに声をかけます。「吉倉師長が署名に積極的なのでとりくみやすい」と言います。
■戦争法強行で気づいた
危機感を覚えたのは、二年前の戦争法(安保法制)の強行です。「あれだけ国民の反対が広がっても強行採決。この政権は危ない、ってゾッとした。いつでも戦争になりかねない恐怖感がある」(田所)、「仕事と子育てに追われていたけれど、国会前で自分の無知に気づいた。近い将来、戦争で子どもの未来が奪われそうになった時、子どもに『ママ、あの時何してたの?』と言われてもきちんと答えられる自分でいたい」(吉倉)。
断られることもありますが、政治に関心はなさそうに思えた女性が署名用紙を複数枚持ち帰り、すぐに集めて届けてくれたこともありました。「“うっとうしいおばさん”と思われてもいい。署名に結びつかなくても、“憲法守れと言っていた人がいたな”と思い出してもらえたら」と田所さん。
■勇気出し、戦争体験者も
豊島五丁目団地(約四九〇〇世帯)の医療生協豊五支部は、「とよご九条の会」の一員として署名活動。全一二棟の担当者を決め、氏名と部屋番号も添えた署名用紙を全戸配布。翌日から担当者宅に署名用紙が届いています。
「暮らしている場所で名前を出すのは勇気がいりますよ。でも、二度と悲惨な思いはしたくないから」と話すのは同支部の有留百合子さん。女学校時代は防空壕づくりと訓練ばかり。故郷の鹿児島市は空襲で焼け野原となり、終戦後は青空の下で授業を受けました。
髙橋リノさんも戦争を体験。学童疎開した四歳上の兄が体調を崩し実家に戻ってきましたが、医師も戦争に駆り出されていません。六軒目で見つかった医師が駆け付けた時は手遅れで、その晩に亡くなりました。「戦争を知らない首相が憲法を変えて戦争できる国にするなんて」と語気を強めます。
「九条守れの横断幕を掲げると、『これだけは』と署名してくれる人も。多くの人の目に触れ話すことが大事」と大島浩子さんは話しました。
(民医連新聞 第1658号 2017年12月18日)