生活相談8年 肌で感じる社会の格差「変わるまで続ける」 群馬・はるな生活協同組合
群馬民医連のはるな生活協同組合・高崎中央病院では、労働組合や弁護士などと実行委員会をつくり、八年前から、生活困窮者への支援を続けています。「炊き出し」は毎月二回、また毎月第四火曜日の「ハローワーク前なんでも相談会」です。続ける中で見えてきた地域の実態や課題は? 一〇月二四日の相談会で取材しました。(丸山いぶき記者)
相談会は午前一〇時、JR高崎駅近くのビルを会場に始まりました。生協組合員五人と職員、ボランティアなど、計一一人が参加。定刻より少し早いオープンでしたが、すでに数人が待っていました。職員が受け付け、席に着いた人に生協組合員さんたちが温かい味噌汁とおにぎりなどを配りました。
「野菜たっぷりのお味噌汁は、優しい味で口に合う」と常連の女性。「おかわりは?」との声かけに、ほとんどの人が応じます。
この日は、生活相談一件、「血圧が高く、胸が苦しい時もある」などの健康相談が七件、歯科衛生士が口の健康チェックもし、計二二人が訪れました。冬物の衣類も提供しました。
「何かしたい」と組合員が
「きっかけは二〇〇八年のリーマンショックでした。日比谷の年越し派遣村を知った、当生協の組合員さんが『何かしたい』と声をあげたんです」。当時、組合員活動部で立ち上げに関わり、現在は反貧困活動実行委員会事務局長の野口祐美さんは振り返ります。
〇九年三月には、群馬民医連などを中心に、前橋を会場に群馬派遣村が開催され、高崎からも生活困窮者が大型バス一台を使って向かいました。「高崎でもやらなければ」と本格的に検討し、地元で炊き出しを行っていたカトリック教会へ研修に。食事の作り方から、いつ、どこでやればいいかまで一から学び、この年の六月からおにぎりと味噌汁の炊き出しを始めました。二カ所の教会で行っている炊き出しと重ならず、毎週市内で炊き出しがあるよう、毎月第一・三土曜を実施日としました。
「初めは路上生活者と接するのは、おっかなびっくりでした。回を重ねて顔見知りになり、次第に『なぜ今の生活に?』と聞けるようになりました」と野口さん。事情を聞くうち、「目の前の人の支援だけでなく、ここまで至る前に相談できる場が必要」と、六カ月後に相談会も始めました。
この日で炊き出しは一九二回、のべ四九七〇人超に食事を提供し、「なんでも相談会」は九二回、のべ二九七〇人超の相談に乗ってきました。うち、生活保護の申請支援は一二〇人前後に。毎回ひと月ほど前からハローワークなどにお知らせチラシを置き、当日もハローワーク前でチラシを配ります。運営は、募金や食材・衣類提供にささえられています。
来る人たちも変わった
「当初は、開場前から長蛇の列。路上生活者も多く、おにぎりを奪い合う場面もありました」と野口さん。今では来場者も配膳を手伝い、余ったおにぎりは分け合います。生活保護の申請支援の成果もあり、高崎市内の路上生活者は数人にまで減りました。
ある常連男性は、「五~六年、世話になっています。姉さん方には頭が上がらない」と笑います。解雇されて路上生活に陥り、荒れた過去があり、ハローワーク前でのチラシ配りを担ってくれています。ハローワークには、年配者から子連れの母親まで様々な顔ぶれが来ますが、「健康より仕事」と言う人ばかり。そこに「集まってご飯を食べれば元気になる」と自分の体験も語り、誘っています。
声あげる課題も
来る人たちは、低収入、少ない年金、生活保護、障害、みんな何かを抱えてギリギリの生活に苦労しています。「一食はここで」と始めた炊き出しでしたが、おかわり自由の味噌汁でお腹を満たし、おにぎりは持ち帰り、さらにもう一食にする人が多いといいます。
野口さんは、これまで出会った相談者から「格差社会」を肌で感じてきました。「“格差”を言葉で知っていても、見えていない人が多い。今は民医連の職員ですら、なにげなく過ごしていては見えない社会。これらの活動を通して社会の実態を見てほしい」。
八年続けた支援活動のおかげで、「何かあれば、はるな生協へ」の流れが行政にも浸透しているそう。「でも、本来それは行政の役割ですよね」と組合員活動部の野村孝太郎さん。野口さんも「申請主義、基準主義ではなく、もっと住民の生活を見てくれよ!」と。
住民の善意の活動だのみではない行政の仕組み作りのために、声を上げることも課題と考えています。「だから、世の中が変わるまで、続けます!」と野口さんの後を引き継いだ野村さんは意気込みます。
つづけるためにはネットワークが―
8年間で広がる支援
「なんでも相談会」は当初、ハローワークで職を探す人たちの生活、健康、労働、法律に関する相談に乗れるよう、弁護士や労働組合、ケースワーカー、医療者がそれぞれ相談に乗る体制でした。今では、弁護士の法律相談以外は職員で対応できるようになりました。職員にもこのとりくみは浸透し、多職種が協力しています。
長野県民医連のつてで、当初はフードバンクからもらっていた米は、提供してくれる組合員さんたちが現れ、一・五反分を確保。野菜などほとんどの食材を自前で調達できるようになりました。
「一番お金のかかる米は買ったことがありません。衣類や布団なども組合員さんや患者さんから届き、インターネットを通じて他県からも寄せられています」と野村さん。食事は組合員さんと共に早朝から準備します。課題は次の担い手づくりです。
人・場所・物があれば
野村さんは、「八年続けられた最大の理由は、(1)人、(2)場所、(3)物があったことにある」と言います。炊き出しは組合員が、調理の場所は組合員ふれあい会館や地域の組合員のたまり場で、食材は支援で成り立っています。
「一番感じるのは、いくら思いが強くても、三つのうちひとつでも欠けると続かないということ。ネットワークづくりが重要です」。
(民医連新聞 第1657号 2017年12月4日)