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民医連新聞

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Borders 時々透明 多民族国家で生まれて (17)代弁

 ロサンゼルスで暮らした1年間、日本語が下手になっていくのを脳から舌まで感じていた。日本語をしっかり理解して、日本の文化を学ぶ目的で、日本文学修士プログラムに進学した。前と同じワシントン大学の院に入って、僕の人生は大きく変化した。20代の頃は家族を持つのは40歳ごろだろうと思っていたのに、なんと、日本人留学生だった妻と結婚し、その翌年には息子が生まれた。
 修士課程を終えると家族で東京に引っ越した。外科医の妻は、じきに手術に追われる忙しい日々となり、僕は子育てのために専業主夫になった。8カ月の赤ん坊を連れて毎日、児童館や公園に通った。「曜日」という概念が薄くなるぐらい、毎日はほぼ同じだった。
 外ですれ違う人々は大抵、息子の顔をじっと見てから僕をじっと見る。「可愛いね」とキャンディーや菓子パンをくれるお婆ちゃんもいた。しかし優しさは感じながら、「やっぱり外国人の子は可愛いね」や「何人(なにじん)?」などと言われると、民族や国籍の違いを指摘されているような気がした。
 血統で考えるなら、妻は日本人で僕はユダヤ系だ。息子にはどちらの血も入っているのだと素直に受け取ってもらえるとありがたい。が、例えば、息子の見た目が日本人とはかけ離れていた場合、彼が50年日本に住んでいたとしても「日本語上手ですね」と外国人扱いされ続けるのだろうか。一方、ユダヤ教の口伝と習慣では、母がユダヤ人であれば子もユダヤ人だと判断される。保守的な考えでいえば、息子は改宗しない限りユダヤ人とは認められない。でも、父がユダヤ人なら子はユダヤ人としてイスラエルに移民できる、という現実もある。
 「この子何人? ハーフ?」と聞かれても、僕はこのあいまいな空域に生まれた息子を無理やりカテゴリーに当てはめて答えたくない。もし僕がまだ歩けず、話せず、世界を観察する命の塊である息子に代わって率直に答えたら、様々なイメージが彼についてしまうだろう。1人の人間として見てもらえず、不本意な決め付けを受けるかもしれない。とはいえ、僕はいちいち口論したくないから、「妻は一応日本の人です」と答える。その一見ふざけたような答え方で、質問の焦点を息子から妻へ移すのだ。
 息子が成長したら、自分なりに納得のいく答え方を見つけられるといいと思う。


文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。セントルイス・ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年生まれ、ネブラスカ州育ち

(民医連新聞 第1657号 2017年12月4日)

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