原発訴訟コース “終わったとは言わせない” 福島JB フィールドワーク
「原発訴訟コース~中通り福島市」のレポートです。
福島原発事故により被害を受けた三八二四人の原告団が、国と東京電力を相手に原状回復と慰謝料を求め、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)をたたかっています。一〇月一〇日には国と東電の責任を認める判決(福島地裁)が出ました。この原告の話を通じて、ふるさとを奪われた人々の思いを知り、原発がつくられる前の安全な社会を取り戻すためのとりくみを学び、福島の豊かな自然にも触れるコースです。
■生業訴訟原告の思い
生業訴訟原告団長の中島孝さんが講演。中島さんは、福島県の沿岸部、相馬市で鮮魚店を営んでいます。「放射線による健康被害に対する不安をぬぐえないまま生活を続けざるを得ない住民に、国や東京電力が『原発事故被害は終わった』と押しつけているのが今の福島。司法も政府の意向を忖度(そんたく)した判決を出している(九月二二日千葉地裁)」と福島の実情や裁判の状況を語ってくれました。
被害者の間には「分断」も生じています。「避難できるお金があっていいね」「留まることは子どもへの虐待では?」などと。その中で被害者に“自分が悪い?”と独特の迷いが出てきます。しかし、人生で初めて経験する、色も形も臭いもない放射能の被害を受け、必死に選択した結果が今の状況。「その一人ひとりの思いに、国や東電が向き合わなくていい道理はない! 生業訴訟で、国・東電の姿勢を告発したい。脱原発交渉を含め、裁判の行方に注目し続けてください」と中島さんは呼びかけました。
この場に同席した原告のひとり阿部一枝さんは、「全体の大きな苦しみは、偉い先生方が話してくれるかもしれないけれど、ストレスを抱えて生活する一主婦の思いは伝わっていない。伝えたい。はき出したくなる」と話しました。
■福島の農家は
午後は福島県北農民連の産直カフェを訪問。県北農民連の服部崇事務局長から話を聞きました。
ここでは、放射能による農地汚染の定点観測や農作物の全品全袋検査のほか、共同の太陽光発電所も作り「原発から卒業しよう」と呼びかけています。検出限界の一〇ベクレル以下の作物だけを流通させますが、農民は放射線管理区域の四倍以上の線量の農地で日々作業しているといいます。
「私たちは、犠牲者で終わるつもりはない。政府に『福島は七年で安全になった』などと言わせないために、全国に福島を知らせる役目がある。次世代により良い福島を残し、全国の原発再稼働を許さないために、皆さんとつながっている限り、負けません」と服部さんは語りました。
その後、ナシ狩りを体験。果樹園の経営者阿部哲也さんにも話を聞きました。樹園地は果樹が根を張っているため掘り起こすことができず、本格的な除染作業が行われていません。特にナシは表土を削ることも難しく、上に土を撒いて対策しています。「この先も作業していけるのか健康が不安。常に放射線と向き合っています」。
■参加者の声
このコースの参加者は八五人。「中島さんと同じ相馬市出身なので、『地元の魚・野菜を食べて生きていくと決めても、やはり子や孫には食べさせられない』という住民の気持ちがよく分かる」(宮城)や、「『風評被害ではなく実害、根も葉もないのではなく、根にも葉にもセシウムが出ている』という服部さんの話が印象に残った。電力会社を変えることも、社会を変える意思表示になる」(福岡)などの感想が。
また、企画した現地実行委員は、「路肩の除染作業中の看板は、県民には見慣れた光景。下請け作業会社の労働環境や汚染廃棄物管理も不安」と語っていました。
フィールドワーク
(1)原発訴訟コース
(2)原発事故からの復興活動コース
医療生協わたり病院、さくら保育園で講話と見学。福島復興共同センターの講演など(福島市)
(3)復興・会津若松コース
震災後脱原発をめざす市民による会津電力株式会社の講演。赤べこ絵付け体験など
(4)富岡・震災の語り部コース
富岡町3.11を語る会の講演。宇川ブルーベリー園で農業体験など(郡山・三春)
(5)飯舘村・福島の想いコース
特養いいたてホーム施設長の講演。橋本農園でぶどう狩りなど
(6)被災地視察コース
南相馬除染研究所代表理事の講演。防災センター見学、沿岸部を南下し視察
(7)原発避難地視察コース
放射能公害の講義後、浪江町→大熊町・双葉町(帰還困難地域)→富岡町→楢葉町をバスで視察
(8)郡山・核害対策コース
郡山医療生協核害対策室のとりくみ講話、猪苗代湖遊覧船観光など
(民医連新聞 第1654号 2017年10月16日)