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民医連新聞

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相談室日誌 連載432 「人生に負けちゃったからね…」(東京)

 Aさんは七〇代独居のトラック運転手でした。アパートの階段から落ち、両手指骨折・身体打撲で定年間近で失職、生活保護を利用することに。親族とはそれを機に疎遠になりました。
 日常生活が不自由になったAさんは地域の包括支援センターBに相談へ。ところが「一時的だ」と自費サービスをすすめられました。その後、B包括以外の窓口で介護保険を申請し「要支援」に。その上でリハビリなどの相談に再びB包括へ。すると「介護保険だけでなく、幅広く考えて」「リハは整形外科、マッサージは接骨院でもできる」との回答でした。
 その後、本人は私たちの担当する地域に転居。「和式トイレで苦労している」と家主経由で相談が入り、前述の経過を知りました。PTが身体評価し、役所が認めれば洋式トイレに改修できると説明すると、本人は「一番大変な時期に自費のヘルパーを週一回利用したがお金が払えず中止し自力でがんばった。介護サービスの使い方が分からなかった」と。改修は「お願いしたい。でも人生に負けちゃったからかな…無理なら仕方がない」ともつぶやきました。
 現在は福祉用具を利用し、当面、不自由はなくなりました。通所介護なども使わず、筋力維持に外出を心掛けている、と本人は語ります。
 誰にでもある突然のケガで、Aさんの生活は一転しました。休業補償、失業補償、住環境、介護保険…それぞれが適切に機能していれば「人生に負けちゃった」とつぶやく必要はありませんでした。親族との関係も切れ、迷惑かけたくないと萎縮する生活。必要な時に公的サービスが使えてこそ、生活の質が保たれます。
 最近「介護保険からの卒業(介護保険の適正化)」という言葉が出ます。窓口が「多様なサービスの活用」の名目で自己負担・自己努力へ導く恐れがあります。包括支援センターの役割とは? サービス利用を抑制する窓口になってはいけないと考えました。制度の狭間で抜け落ち、見えにくくなっている困難ケースに、ていねいに対応する必要が、従来以上にあります。

(民医連新聞 第1651号 2017年9月4日)