Borders 時々透明 多民族国家で生まれて (11)目立つ
富士山の麓にいくつかある工場の高い煙突から、灰色のガスが舞い上がり風に溶ける。その後ろに富士山がそびえる。真夏の午後、新幹線の窓からこの風景をじっと見ながら僕は、日本にいることを改めて実感した。
新幹線は名古屋に停まり、三重県で英語を教える教師達は近鉄線に乗り換えた。僕の派遣先は桑名市だったので、急行の最初の停車駅で降りた。冷房が効いた車内から蒸し暑いホームに出たとたん、汗が出始めた。猛暑の三重だった。ホームには誰もおらず、蝉の声だけが聞こえた。ネブラスカでも8月は蝉の季節、故郷が思い浮かんだ。
だが改札口でそんな思いは煙突の煙のように消えた。切符を買おうとしていたらしいおじさんが立ちすくみ、口を少し開けて僕をじろじろ見ていた。僕のシャツが裏返しになっているとか、社会の窓が派手に開いているとか、何かおかしいことがあるんじゃないかと心配で、身なりをチェックしたが問題なかった。そんなところに僕を迎えに市教育委員会の数人が現れた。
駅を出た後は次々に色んな初経験をした。名刺を貰った。鰻を食べた。三重の方言はさっぱり分からなかった。畳の温かい香りを嗅いだ。夜、ベッドに入って1日を振り返り、またこれから経験することも想像したりして興奮した。いよいよ日本に自分を浸す1年が始まった。
1週間が過ぎ、桑名を味わっている間に僕は住民にじっくり観察されていることに気づいた。外出するたび同じだった。アピタというデパートで買い物していると、制服の子どもたちが僕を指差し、クスクス笑う。知らない人が片言の英語で何か声をかけてくる。職場では先生も生徒も巻き毛を触る。僕の身長は193センチ、レストランに行けばまるで決まった挨拶のように「背が高いねえ」と誰かが言う。
アメリカでなら僕は街に溶け込めるが、桑名では透明になれないのだと分かった。どこに行っても視線が僕を追う。いつも。平凡な人生を送ってきた僕にはこれほど目立つことが不思議だった。単に僕の見かけが違うだけで、時には芸能人に、またある時には珍獣にでもなったように感じた。どちらも嫌いだった。しかし「そのぐらいはがまんできる」と自分に言い聞かせた。新しい文化、自然、三重弁など知りたいことが溢れ、面倒なことを無視しようと決めた。いつか桑名は僕に慣れると期待して。それから普通の人間に戻ろう。
文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。セントルイス・ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年生まれ、ネブラスカ州育ち
(民医連新聞 第1651号 2017年9月4日)
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