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民医連新聞

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Borders 時々透明 多民族国家で生まれて (9)草取り

 アメリカで医学部への進学は大学卒業後となる。大学では何を専攻してもいいが、「基礎科学」の授業は取らねばならない。僕は医者には興味なかったが、生物学専攻だったので医学部志望者と共に化学、物理などの授業を取った。これらの成績は医学部合格に大きく影響するわけで「草取り」と呼ばれている。
 僕はその草取りで有機化学を取っている4人の同級生と仲良くなった。僕以外は皆、医学部志望。平日は学内の小部屋を借り、グループで勉強していた。テスト直前は徹夜。週末になると教科書をしまい、一緒に飲みに行っていた。
 仲間の1人のジェフは、住み着いているのかと思うほどいつもその部屋にいた。彼とはよく化学や解剖学を勉強した。夜には勉強に飽き、雑談の渦に溺れることも珍しくなかった。彼は7歳でベトナムからアメリカへ一家で移民してきた。それは苦しい経験だったそうだ。英語ができず小学校で馬鹿にされ、アジア人を差別する言葉もよくかけられた。
 金曜の夜、勉強仲間とクラブに行くことにした。ジェフは勝負服の黒いレザージャケットを着ていた。皆で彼の車に乗り、ラップを流した。スピーカーのベースの轟きがまるで大きな心臓のように全てを揺らした。繁華街は渋滞していて、信号が青に変わると隣の車線から突っ込んできた車があった。ジェフは急ブレーキを踏み「何してやがる!ニガー!(黒人蔑視の表現)」と叫んだ。皆は呆れ、腹を立てた。「黒人じゃないよ」と指摘されると今度は「くそユダヤ人!」と吐き出した。僕はさらに頭にきて「お前なんかの車に乗れない」とドアを開けようとしたが、「待て、もう着く」と別の友達に止められた。皆に説教されてジェフは黙り込んだが、怒りが収まらないせいか体が揺れていた。響くベースが時間の流れをゆっくりと記した。
 10代のころは、ユダヤ人や黒人に差別的な言葉を使う友達を単に無知だと思っていた。ジェフこそ差別を知っている人だと思っていた。「無知」とは言い訳にすぎない。僕はその後しばらくジェフを避けたが、結局またグループで勉強するようになった。前のように雑談もしたが、僕らの間には淡い距離ができた。彼は状況次第でまた差別を口にするだろう。一方、短い発言で友情が消えていいのかとも悩んだ。考えれば考えるほど、自分が、固い空っぽの壷のように思えた。中に何を入れたらいいのか分からなかった。とりあえず、距離をそのままにしておこうと決めた。


文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。セントルイス・ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年生まれ、ネブラスカ州育ち

(民医連新聞 第1649号 2017年8月7日)

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