さらなる生活保護“改悪”が始まった 母子世帯ねらう/医療も「適正化」
六月、生活保護基準の見直しに向けた議論が社会保障審議会生活保護基準部会(厚労省)で始まりました。生活保護基準は五年に一度見直され、来年度がその年です。ターゲットは母子世帯を始めとする保護基準。医療も別の部会で「適正化」が重点に。保護基準は二〇一三~一五年に生活扶助や住宅扶助の引き下げ、冬季加算の圧縮などがされたばかり。その打撃は深刻です。(丸山聡子記者)
すでに月1~2万円もの減額
これ以上引き下げはならぬ
―花園大学・吉永純教授
■引き下げで大きな打撃
厚労省は一三年から三年間の生活扶助引き下げの影響調査の結果を公表しました(六月六日の生活保護基準部会)。受給世帯の約半数が「月一〇〇〇~四九九九円の減額」。中でも母子世帯は減額幅が大きく、四一%が月一万~二万円、三九%が五〇〇〇~一万円の減額でした。生活を切り詰めざるを得ず、エンゲル係数(消費支出に占める飲食費の割合。高いほど生活水準は低くなる)はおおむね全世帯で上昇しています。生活実態は変わらないのに生活保護が廃止になった人もいます。
一五年の住宅扶助引き下げによって、二七万世帯で家賃が住宅扶助限度額を超えました。すでに二万世帯が転居し、五万世帯が転居指導を受けています。例えば京都市の二人世帯では、住宅扶助が月五万五〇〇〇円から四万八〇〇〇円に七〇〇〇円も下がりました。住めなくなるか、住み続けるなら生活費を削るしかありません。
■何が議論されているか
甚大な影響の上に、厚労省はさらなる引き下げを狙っています。
生活保護基準を算定する際のモデル世帯は「夫婦と子ども一人」世帯でした。ここに「高齢単身世帯」を加える予定です。年金額が下がり続けている単身高齢者をモデルにすれば、生活保護も際限なく引き下げられます。
加算の引き下げも検討されています。ターゲットは母子世帯に支給される加算です。一度、二〇〇九年四月に全廃される改悪がありましたが、世論を受けて民主党政権下で復活(〇九年一二月)しました。これを再び、自民党政権が廃止しようとしています。
政府が強調するのは、生活保護を利用していない母子家庭の暮らしの厳しさです。だから、「生活保護の母子家庭はもらいすぎている」という説明。しかし問題は、母子家庭が平均年収約二二三万円(本人収入、一〇年)という困窮状態にあることです。ここを解決せずに、生活保護世帯の母子加算を廃止して低い方に合わせる手法は、貧困の連鎖を悪化させるものです。
医療にかかわる部分も検討項目です。骨太方針二〇一七では「頻回受診対策」や「後発医薬品の使用促進の強化」などを明記。以前から後発医薬品促進は言われていましたが、日本医師会の反対もあり、現在は「後発医薬品の使用は主治医が許可した場合」に限られています。しかし、今後はさらにすすめられる危険性があります。
■憲法25条に反する推進法
これらの見直しは一二年に成立した社会保障制度改革推進法に基づいています。同法は日本の社会保障制度の理念を「自助・共助」に転換しました。これは憲法二五条に真っ向から反します。生活保護のみならず医療や福祉全般で負担増と給付減が続いているのは、「自助・共助」を強化しているためです。保険料を支払う社会保険で負担増が強まれば、全額税金でまかなう生活保護に圧力が強まります。「生活保護だから、人権を制限されて当然」「税金で暮らすならお上の言うことを聞け」という発想に傾きがちになります。
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生活保護は国民の最低生活水準であり、生活保護基準引き下げは、あらゆる社会保障の引き下げにつながります。最低賃金をはじめ地方税非課税基準や国民健康保険の保険料・一部負担金の減免、介護保険の保険料・利用料の減額、就学援助の給付などの利用基準はおおむね生活保護基準が元になります。生活保護基準は私たち一人ひとりの暮らしの岩盤なのです。
劣悪な労働環境や社会保障制度の切り下げで生活に困窮する人は増えています。自分が苦しいから、生活保護の人がぜいたくに見え、攻撃する―そんな風潮も広がっています。社会保障制度全般を充実し、誰もが「人生につまずくことがあっても、安心して生きていける」社会の実現が必要です。
生活保護で生きる者の現状を知ってほしい
梶原晴子さん(神奈川訴訟原告)
生活保護はここ数年、改悪されてきました。厳しい暮らしぶりを、神奈川県横浜市に住む梶原晴子さんに聞きました。二〇一三年から断行された史上最大の生活保護基準引き下げに対し、国と自治体を相手に違憲訴訟をたたかういのちのとりで裁判(全国二九都道府県、原告九四〇人超)の原告の一人です。(丸山いぶき記者)
■これが私の生活
生活保護を受給して八年目。うちに来た友人から「トイレットペーパーが硬い」と言われ、「よく揉んで使って」と笑い飛ばします。
一日三食? とんでもない。一日二食なら良い方。二〇一三~一五年の三度の生活保護費の引き下げ、一四年の八%への消費増税で生活はますます苦しくなりました。安いスーパーでさらに安くなった品を探し、レジに並ぶ前に計算、財布と慎重に相談。「レジが怖い」のです。正規の値段の物や「いつか使う物」も買いません。野菜は九八円均一、肉はグラム一〇〇円以下、小分けして冷凍しています。ベランダで九八円の苗から野菜を育て、春は野草を摘みます。食費と光熱費を切り詰め、買い物と通院以外は出歩かない。人と付き合うとお金もかかるから、友人も少ないです。洋服や下着もほとんど買えません。街で一番安い店の六九〇円のスパッツとTシャツを三年は着ます。
扶助費の減額前は、元美容師としてシャンプーにこだわりましたが、今はそれもできません。髪を切るのもタイムサービスの六九〇円。化粧品は一〇年前のものを少しずつ使い、普段はスッピンです。
それでも、私はオシャレが好きで、今でも一〇〇円均一のアクセサリーを買うこともあります。もちろん食事を一食削った上で。たまの楽しみは一〇〇円の古本を買って読むこと。福岡に住む叔母との電話も私の元気の源です。
つらかったのは、親戚が亡くなったとき。私をかわいがってくれた叔父や叔母で、葬式に行きたくても、交通費はもちろん線香代さえない。自分がみじめで、情けない。孫もいますがお年玉もあげられません。毎月の支給日前には財布に一二〇円ほどしかないことも。昨年、家の中で熱中症になりました。電気代節約でクーラーをつけられなかったからです。
どこまで我慢すればいいのでしょうか。健康で文化的な生活? そんな暮らしをしてみたいです。
■裁判の原告になったのは―
私は、精神疾患やぜんそく、糖尿病などがあり働けません。母が存命中は、母の年金で暮らしていました。最期まで私の生活を心配する母に、「生活保護を受けるから大丈夫」と。以前大腸がんを患った兄が生活保護で治療を受け、命が助かった経験があるからです。私は、みなさんの税金で生かされています。そのことに心から感謝しています。兄も生活保護を利用できたので元気に働いています。
生存権裁判の原告になりましたが、不服を申し立てるのはぜいたくしたいからではありません。生活保護で生きる私たちの現状を知ってほしいからです。人並みの生活、一日三食、食べたい物を食べられるだけの余裕がほしい。
どのような生活が、憲法二五条の「健康で文化的な最低限度の生活」なのでしょう。政治家の高い給料も税金。三人の子どもたちはぎりぎりの生活をしながら納税しています。簡単に制度を切り下げる政治家に言いたい。「私と同じ条件で生活してみてください」と。
■心まで貧しくはない
私は、こうして顔と実名を出すことで、「生活に困っても死ぬことはないんだよ」と伝えたい。憲法二五条に守られているのですから。生活保護は恥ではありません。働きたくても働けず、心身の弱った受給者を見下し、傷口に塩を塗らないでほしい。この世にいらない人間は一人もいない。何億もの精子と卵子との出会いから生まれてきた、同じ人間です。
私は裁判に参加して成長できました。以前より強く、明るく、人を思う気持ちに余裕ができました。同じ苦しみを分かつ原告仲間とも笑顔で励まし合います。貧しいけれど、心まで貧しくはない。今、人生で一番幸せです。生きている意味が分かり始めたから。
「いのちのとりで裁判全国アクション」ホームページより
当事者の声
高橋俊雄さん(愛媛訴訟)
六〇代の一人世帯でも二〇一三~一五年にかけて、保護費三四九〇円引き下げられ、消費増税により五五六円分、実質四〇四六円の引き下げ。一年間にすると、五万円近くの引き下げです。
A・Kさん(大阪訴訟)
人が生きていくためには栄養のある食事や、友人や家族と交流することが必要です。自分より厳しい環境で生活している人がいるからといって、自分の生活水準を下げていたら、みんなの生活がますます悪くなるばかりです。
山内一茂さん(大阪訴訟)
障がい者は、霞を食べて生きる仙人ではありません。お金を自分の力で獲得できない私の生活をささえてくれたのが生活保護制度でした。引き下げは、障がいを持つ者の自立を阻害します。
山本由香さん(仮名・三〇代)
生活保護基準は日本の生活費の最低ライン。この国の人の生活は、どれだけ貧しいのでしょうか。
周囲の人の反応は大変厳しいものでした。私には、みんな生活保護からそう遠くないところにいるように見えました。生活保護へのバッシング、苛烈な批判は、制度を利用していない人の悲鳴のように聞こえます。
(民医連新聞 第1648号 2017年7月17日)