Borders 時々透明 多民族国家で生まれて 差別の初体験
暑い。寒い。米国の真中にあるネブラスカ州には一応四季はあるが、思い出すのは夏と冬ばかりだ。山は1つもなく、トウモロコシ畑が広がっている州だ。気候は荒い。竜巻、ひょう、吹雪はまるで年中行事のように来る。ずっと変わらないのが風だ。絶えず吹いている。長い冬の夜に風は体から熱を奪う。一方、夏に汗をかいても涼しく感じない。
ある夏の日のこと。3カ月間の夏休み、風に吹き飛ばされる埃(ほこり)とたたかいながらサッカーをする。2人のきょうだい、近所の友だち、そして僕。みんな小学校の低学年だ。小学校のグラウンドは芝生のはずだが、夏になると草は枯れる。学校のレンガから乾いた並木まで、街の色がすべてあせる時期だ。
埃と暑さにうんざりして休憩する。校舎に入って水飲み場をみつけ、渇いた喉を潤す。
「お前、どこの教会に行ってるの? 俺たちは聖マリアだよ」ときょうだいの兄の方が僕に尋ねる。「教会には行かないよ。ユダヤ人だから、シナゴーグに行く」と答える僕。「ユダヤ人?」途端、目が丸くなり、埃だらけの彼の顔つきが変わる。歪(いびつ)なものを初めて見たようだ。
「お前は地獄に行くよ」と彼はきっぱり言う。「地獄なんか信じない。そんなの存在しないんだよ」と僕は反論する。弟の方が付け加える。「僕たちのお父さんはそう言うんだよ。ユダヤ人がみんな地獄に行くんだって。お前も行くよ」。「僕は進化論を信じる。地獄も神様も存在しないよ」。再び僕は反論する。その頃はちょうど生物学にはまっているところだった。
話が行き詰まる。近所の友だちは無言を貫く。涼しく暗い学校の廊下がしばらく沈黙に包まれる。いつの間にか皆立ち上がり、グラウンドに戻って、埃と風の中でまたサッカーをする。何もなかったように。
数週間後、永遠に続く夏休みにまたそのきょうだいに会う。同じ場所だけど、今回は彼らのお父さんも一緒に来る。その大柄な男は大学時代にアメフト選手だった。彼の手のひらは皿より広い。緊張している僕に「キャッチボールしよう」と彼が誘う。キャッチボールをしながら、彼はアメフトの現役時代の面白い話をたっぷり聞かせてくれる。でも、いくら笑ってもずっと溶けないものが心の中に残る。僕はユダヤ人だと彼は知っているのか? 知っていたら、どうなる? グラウンドから逃げ道はある? 僕はこの人たちとどこが違うんだろう?
キャッチボールは続く。昔話も。
文 ヘイムス・アーロン 東京在住のユダヤ系アメリカ人。ワシントン大学院生、専門は人類学。1977年、ネブラスカ州育ち
(民医連新聞 第1641号 2017年4月3日)
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