新連載 こたつぬこ先生の社会見学 ~3・11後の民主主義 (1)はじめに
2011年3月11日の東日本大震災と、それにつづく原発事故から6年の月日が過ぎました。あの時、とりわけ東日本地域に住む人々にとっては、地震、津波、原発事故、余震と計画停電など、立て続けにおこるアクシデントを受け止めるので精いっぱいでした。被災地や首都圏からの避難が相次ぎ、食料や水の放射能汚染への不安をめぐって職場や地域、家庭で議論や対立が起きました。しかし、そうした未体験かつ苦難のなかで、人々は西へと避難し、東へと救援に向かい、そして原発に反対するデモに参加しました。3・11の災害をうけて、おそらくは数百万単位の人々が何らかの「行動」を起こし、普段交流のない隣人と言葉を交わし、等しく危機に向きあうことで、新しいつながりと政治への参加の道筋をみいだしました。
あれから6年。復興はいまだならず、たくさんの避難者が故郷に帰れないままにあり、政府の原発推進政策は変わっていません。「あの危機はしょせん一時的なことに過ぎず、大多数は日常に戻り、もはや風化しているではないか」といわれるかもしれません。しかし、3・11の震災の記憶と経験は、この国の民主主義を取り戻すためのさまざまな行動のなかで息づいています。
3月は震災の記念の月であるとともに、「はじまりの月」でもあります。2012年の夏、首相官邸前には原発再稼働に反対する十数万の市民が集まりました。あの金曜官邸前抗議がわずか300人からスタートしたのは3月でした。2015年の夏、安保法制に反対する数十万の市民が連日国会前を埋め尽くしました。あのSEALDSの国会前抗議がはじまったのも3月でした。
3・11以後、日本社会では久しく忘れられていた「デモ」が、新たな装いで復活しました。SNSなどを駆使し、デモなど耳にしたこともない人たちがこの渦のなかに飛び込んできました。そしてその脳裏には―安保法制やレイシズムに反対するなどテーマはさまざまだが―「3・11」が常にあり、「あの時」の体験が各々を共通の場へと誘ったのです。「3・11」は風化したのではなく、私たちの民主主義的な感性のなかに定着し、この変わりゆく日本を主体的により良いものにしていこうとする人々の「共通の原点」になっています。
これからはじまるこのコラムは、3・11を起点に、それ以後、日本の政治と社会で展開したさまざまなこの国のあり方をめぐる攻防と「現在」とのかかわりについてとりあげます。
こたつぬこ:本名は木下ちがや。政治学者。Twitterアカウント@sangituyama著書に『国家と治安ーアメリカ治安法制と自由の歴史』、翻訳:デヴィッド・グレーバー『デモクラシー・プロジェクト』など
(民医連新聞 第1641号 2017年4月3日)
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