終 男の介護 千代野さんと野奮闘記 [著:富田秀信] ひとりぼっち
そう感じたのは、通夜と葬儀でバタバタしつつも、我が家で洗濯物を干す時。毎日のデイで持ち帰る汚れ物や、自宅でのトイレの失敗含め、大半が妻のものでした。それが、葬儀後2日で妻の洗濯物がなくなりました。もの干し竿には数枚、私の下着類が申し訳なさそうに風に吹かれています。「ああひとりぼっちになった」と実感。
通夜葬儀で号泣したのはやはり、2つのデイサービスやケアマネジャー、ヘルパーの女性の方々。それはそうです。毎週平日の昼間、家族のようにお世話になっていたのですから。「もうそちらへ行く事はないですね」の言葉に「ケアプランも作ってもらう事もないですね」などと返礼しながら私が声をかけるたびに顔を真っ赤にしてハンカチで目を覆う彼女たち。当然と言えば当然ですが、その当然の普通の暮らしが無くなることが、かくも悲しい事か。
ひと泣きして落ちついた彼女たちの視線は、今度は私に注がれます。「この旦那さん、千代野さんの日々の変化が元気の素と言っていたけど、彼女がいなくなってやっていけるの?」「千代野さんがいなくなったら腑抜けになるんじゃない?」。確かに、旦那に先立たれた奥さんは、しなやかに生き続ける生命力があるが、その逆の夫の場合は力が弱く、短命で情けなく終わる事例が多い。さて、私の場合は…?
独酌しながら「腑抜けの会」でも作ろうか? 参加資格は妻の介護終了者や、事故、病気、震災などの急逝で残された夫などと愚考しています。男性介護の先にある必然性、老男の最後の生き方の研究にも、と自問自答し、賛同者を募っているこのごろです。
千代野の死という予想外の展開に、読者の皆さんも驚かれていると思います。私自身がそうなのですから。
この1年間お読みいただき、ありがとうございました。またどこかでお会いできる事を期待しつつ…。
とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けた。神戸の国際ツーリストビューロー勤務
(民医連新聞 第1640号 2017年3月20日)
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