リポート 子ども食堂!
二〇一四年に「六人に一人」という子どもの貧困率が公表されました。給食のない夏休みの間に体重が減る子がいるという報告も。家庭で十分な食事がとれないためです。その事実に居ても立ってもいられない人たちの手で無料、もしくは安価で食事や居場所を提供する「子ども食堂」の開設が全国で広がり、朝日新聞の調べでは、全国で三〇〇カ所を超えています(二〇一六年五月末時点)。民医連でも、多くのとりくみが始まっています。毎週開いている大阪・医療生協かわち野の子ども食堂を取材しました。あわせて、これから踏み出そうとする東京・大田病院有志に密着しました。(田口大喜記者)
はじめました!
大阪・医療生協かわち野 山本北支部「ゆめひろば」
やれることはナンボでも子どもとお母さんのためなら
大阪府八尾市・医療生協かわち野山本北支部の子ども食堂「ゆめひろば」にお邪魔しました。二〇一六年六月に始め、同生協では初めての子ども食堂です。毎週火曜に、参加費は大人も子どもも無料です。
出迎えてくれたのは小西カウ(こう)さん(75)。立ち上げからかかわり、切り盛りしている小西さん、まわりからは親愛を込めて「監督」と呼ばれています。
人と地域、心ひとつに
一三時から食事の準備です。三人で三五食分を調理します。この日のメニューはからあげ定食。大量の鶏肉を揚げることから始まりました。
小西さんの自慢はスタッフです。総勢一〇人の組合員が週ごとに交代で調理にあたります。全員「子どものためなら!」と名乗りをあげました。
会場の「支部センターゆめ」は八〇坪二階建ての一軒家(写真)。家主の好意で生協本部が借りています。高齢者のたまり場や地域のいこいの家としても利用されている、支部活動の拠点です。
食材は、大阪いずみ市民生活協同組合が提供を申し出てくれ、組合員が受け取りに行っています。また、各地の農家などからも食材が届きます。これは大阪社保協の呼びかけのおかげ。さらに、組合員が家庭菜園で作った野菜も差し入れてくれます。
地域の人々や、組合員の思いが、無償の食堂を毎週オープンできる秘訣です。
キレイに食べてくれるから
キッチンから良いにおいがし始めたころ、放課後の小学生が次々にやってきました。「メシできたら呼んでや!」男の子たちは遊び場に開放された二階で大暴れ。女の子は一階の食卓で宿題に励んでいます。
小さな子どもを連れたママも数組。三歳の女の子のママは「一人っ子なので、楽しい雰囲気を味わってほしくて、よく来ています」。この日は子ども二〇人と大人、スタッフ計約三〇人が集まりました。
一七時、揃って「いただきます」。暴れ回ってお腹が空いたのか、からあげ定食にかぶりつく子どもたち。足りないと言わんばかりにおかわりをする子も。とりわけ人気だったのがサトイモとコンニャクの煮っ転がし。「ゆめのおばちゃん」と呼ばれるスタッフの目を盗んで、つまみ食いも後を絶ちません。
食後もだんらんは続きます。本を読む子、テレビを見る子、走り回る男子と元気いっぱいです。
一九時、子どもたちが帰った「ゆめひろば」は、嵐の後のように静かです。片付けをするスタッフたちは「子どもたちが喜んでくれて嬉しい」、「キレイに食べてくれるからまたがんばろうと思う」。
「給食がごちそう」なんて!
立ち上げにあたってはチラシを作り、地元の二つの小学校にお知らせをしました。当初は一五人ほどだった子どもも今では倍に。常連の子からは「来週はハンバーグがいいわ」と注文もくるようになりました。また、「今日は火曜日や。ゆめ行こう!」と、子ども同士で誘い合い、少し離れた校区から来る子もいるそう。小学校や市からも見学が来るなど、「ゆめひろば」はいま、地域の話題です。
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とりくみのきっかけは二〇一六年一月に大阪で行われた子どもの貧困シンポジウムに参加したことでした。「大阪の子どもの貧困率は全国で二番目」という話に、小西さんは大変驚いたと語ります。「『学校給食がごちそう』だなんてありえへん!」。
料理が趣味の小西さんには、食事には特別な思いがありました。「支部センターゆめ」と心強いスタッフの存在もあり、実現に時間はかかりませんでした。
「高齢者が若い母子のためにできることはナンボでもある。自分たちにできることをやるだけや」。小西さんは笑顔で語ります。
はじめます!
東京・大田病院有志の準備プロジェクト
東京でも、「子ども食堂をやりたい!」と立ち上がったプロジェクトがあります。中心は島田せい子さん(大田病院・ケアマネジャー)と諏佐史枝さん(株式会社城南医薬保健協働、事務)。揃って情勢の話をする機会が多く、最近は子どもの貧困に関する話題が多くなっていました。保育士だった島田さんは以前から子ども食堂に関心があり、区内ですでに行われている子ども食堂「気まぐれ八百屋 だんだん」に話を聞いたことも。「子どもの貧困は昔からの問題ですが、今は特にひどい。私たちもやってみない?」と提起しました。
呼びかけに10人超
第一回のプロジェクト会議は一〇月一四日。プロジェクト発足と、日時を知らせたチラシで声をかけると、一〇人超が集まりました。
島田さんは「子どもの貧困は親の貧困です。虐待にもつながりかねない。人同士のつながりが大切」と、保育士の経験から思いを語りました。
参加者はそれぞれ子ども食堂のイメージを出し合いました。「職員自身も成長できる」、「みんなでつくりあげる場に」など口々に。
先達にノウハウ学ぶ
いざ運営となると具体的な方法が知りたい。諏佐さんは、各地の子ども食堂の見学や学習会に参加し、情報収集に奔走しました。
同じ東京民医連のほくと医療生協の仲間がかかわる子ども食堂「キタクマ」(北区)を見学。手伝いをしつつ、運営、場所、費用、スタッフ集め、注意点などを、聴き取りました(写真上)。
大阪の「ゆめひろば」も見学しましたが、小西さんがこんなアドバイスをくれました。「同じ職業ばかりだとやれることが限られてしまう。地域に広げていろんな人を集めよう。頼ったらええ」。
行政への届け出などの必要があるかどうかも問い合わせました。「食数や実施頻度が少ないので、届け出は不要。料金をとる場合も、実費程度なら、いらない」というのが保健所の回答でした。
その後も会議を重ね、一二月八日の三回目の会議は二〇人超に膨らみました。
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「子どもだけでなく、誰でも気兼ねなく立ち寄ることができる場所にしたい」と島田さん。メンバーも積極的で、当初は「何カ月か後で」と考えていた開催時期を早め、クリスマス企画を行います。
(民医連新聞 第1635号 2017年1月2日)