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民医連新聞

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04 男の介護 千代野さんと奮闘記 [著・富田秀信] 男はつらいよ

 妻がいない我が家はどうなるか? 炊事、洗濯、掃除などの家事は基本的には私がやる。別に苦痛でもない。妻が健常時でも、これらはやっていたから。ただ、やっかいなのは夕方。妻が倒れてからの2週間は有休だったが、職場復帰となると夕方家事ができない。
 子どもたちと相談して、夜にアルバイトをしている長男を除き、次男、長女と私の3人で、(1)夕方妻の病院に行って夕食介助と汚れ物を持って帰る係、(2)我が家の夕食係、と2つの仕事のローテーションを組んだ。
 子どもたちも、それぞれの担当時はクラブ活動を早めに切り上げ、我が家の一員としてがんばった。これには、「親父の料理ではもうひとつ」という育ち盛りの子どもの不満と、「自分の方が料理はうまい」という自負もあったのだろう。
 あたふたしたのは、お金のありか。妻の入院費用でのお金の引き出しだ。
 どこの家庭も夫人が財布の紐を握っていよう(?)が、その人が倒れたらどうなるか…? 自宅のどこに現金があり、通帳、キャッシュカードは? 銀行印はどれか? 子どもに聞いてもこれだけは分からない。結果、口座のある銀行へ。しかし、「名義人の奥さんご本人がお越しください。ご本人の確認が出来ません」とラチが明かない。数日かけてやっと手続きをし直した。
 妻も身体リハビリや、読み書きなどの言語リハビリのため、次の病院へ転院した。
 やっと問いかけに何とか反応するようになった、ある日の問診でのことだ。医師「お名前とお住まいは?」妻「葉狩千代野、京都府竹野郡丹後町間人」と、確信を持った口調で答えた。結婚後の、「富田千代野、京都市南区西九条南田町」ではなかったのである。
 意識記憶障害の妻の27年間の独身時代の原風景を知った。そして彼女の意識の中に、倒れるまで22年連れ添ってきた夫の私の存在はなかったのである。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。

(民医連新聞 第1620号 2016年5月23日)