03 男の介護 千代野さんと奮闘記 [著・富田秀信] 不死鳥
翌日午後、病院から「奥さんが最近まで通院されていた病院に、エックス線など画像資料があります。連絡していますので、それを持ってこちらへ来てください」。言われるままにその病院に。待合室には知人もいたが、話をすると長くなるし、そんな気分でもないのでやめた。
ここは小さい頃に喘息気味だった長男がかかっていたり、倒れる前の妻が毎月血圧の薬をもらいに行ったりと、我が家のなじみの病院だ。院内には「いのちの平等」のポスターも掲げてある。
後日次男から、妻が倒れる直前に尿失禁していた事も聞いた。これも後で見ると、倒れる10日ほど前の娘の中学校入学式の写真も、妻の顔はむくんでいる。結果には原因があると後でわかった。
画像類を持って、妻の病院へ。ナースステーションで看護師が「ご主人、こちらへ」とにこやかに集中治療室へ手招く。入ってビックリ! 妻のベッドが少し起こされている。
「どうしたんですか?」と私。「まだ分かりませんが、奥さんの意識が戻ったようで…」と看護師。部屋を出てすぐ、私は前日「最後のお別れ」に来てくれた人々に電話をかけまくった。その日の夕方、前日より大勢の人々が、前日にはなかった笑顔で、気のまわる人は花束まで持って病院に来てくれた。
数日後には救急治療室から個室に移されたが、酸素マスクと流動食はそのままで、こちらの呼びかけにもほとんど無反応の日々が続いた。
ある日、妻の合唱団仲間がカセットテープを持ってお見舞いに来て、妻の好きだった曲を耳元で流した。仲間は小声で歌っていた。何の気なしに酸素マスクで覆われた妻の口元を見ると…何と! その曲の歌詞を妻の唇が追っている! 仲間もそれに気が付いた。「千代野さんが歌ってる!!」
「うたごえは、生きる力」と言うが、もうビックリした。妻は今後どんな障害が残るか分からないが、生きていける! とこの時確信した。個室の窓からのぞく、5月の真っ青な空と、木々の緑を今でも覚えている。
とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。
(民医連新聞 第1619号 2016年5月2日)
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