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民医連新聞

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福島被災地視察・連帯行動 ―「現実に言葉出ず」「力合わせる」

 全日本民医連は、福島被災地視察・連帯行動を三月一八~二〇日に行いました。福島の問題を全国で受けとめ、事故被害者の支援や日本から原発をなくす力にしていこうという狙いでスタートしたこの行動はこれで四回目です。八県連からの一四人のほか、現地の職員やガイドなど二六人が参加。コースは、福島市~川俣町~飯舘村~南相馬市~浪江町です。
 初日は、福島第一原発事故に関する研修で、次の三つのテーマで学びました。(1)「新たな局面をむかえた『原発再稼働・福島県民切り捨て』」(ふくしま復興共同センター・齊藤富春代表)、(2)「原発作業員の実態と問題」(福島県労連・野木茂雄事務局長)、(3)「東京電力福島第一原発事故から五年―到達と課題」(医療生協わたり病院・齊藤紀医師)。
 翌一九日は、被災地と仮設住宅を訪問しました。飯舘村には三つの小学校を統合した仮設校舎がありました。また、水田に除染で生じた放射線汚染物を詰めたフレコンバッグがぎっしり積まれている光景は衝撃的でした。
 福島第一原発から五kmにある請戸小学校は、津波で壊れたまま、また地区にあるほとんどの家屋が壊れていました。地区は、震災と津波で被害を受けましたが、原発事故で汚染されたため、復旧は手つかずで、五年前から時間が止まったままのようでした。
 浪江町に入ると、空間線量を測るモニタリングポストは一・六三六μシーベルト/hを示していました。しかしそこから一〇mも離れると、線量は九μシーベルト/hに。町の中心地はやはり、倒壊した家屋がそのままになっていました。
 福島市に戻り、飯舘村の被災者が避難している「松川第一仮設住宅」も訪問。家に上がってお話を聞きました。案内してくれた飯舘村の佐藤八郎村議(共産)は、「政府は『帰村』を掲げるが、村の面積の八割を占める森は除染しない。フレコンバッグ置き場の中の暮らしのどこが安全か? 私たちはモルモットか?」と語りました。
 また、医療生協わたり病院の放射能対策センターにあるホールボディーカウンターで内部被ばくの計測や食品や土の放射能を測定する様子も見学しました。
 最終日はグループワークをし、各班まとめを発表。
 参加者は「二日目の被災地視察で、目の当たりにした光景に、言葉がなかった」「時間が経つと、あきらめの心が広がってゆく。私たちは力を合わせなければ」などの感想を出していました。(稲原資治・全日本民医連国民運動部)

(民医連新聞 第1618号 2016年4月18日)