02 男の介護 千代野さんと奮闘記 [著・富田秀信] さよならも言わないで
娘の背中から、「お父さん、しっかりしてや」の無言の声を聞いた。
とにかく冷静に、まず何から始めるかをメモに整理した。
午後から再び病院へ。夕方になって、集中治療室の妻と初めて対面した。対面と言っても、妻は酸素マスクで眼を閉じている。小声で「お母さん、大丈夫か?」と声をかけても反応はない。やがて医師の説明。「カリウム低下での、急激な心臓発作で脳に酸素が行かなかったのが原因で、意識記憶部分がやられています。命についても…覚悟しておいて下さい」。事態が飲み込めない。とにかくこれまでの妻には戻らない。最悪は、ベッドに横たわっていた妻が、この世からいなくなる…? あと数時間、数日で「その時」が来る…? 夫婦最後のあいさつもなく…。
病院を出て見上げた夜空の星。家族の星が流れるのかと思った瞬間、初めて涙がこぼれた。
とにかく子どもへこの事を伝えなければ。帰宅すると、3人とも黙ってテレビを見ていた。テーブルに座らせ、「お母さんはもう以前のようには戻らない。命も山場と…」後は声にならない。専門学校の長男は黙って上を向いたまま、高2の次男は下を向き嗚咽している。中1の長女は声を出して泣いている。私が黙って立ち上がり出かけようとすると、長女が「どこ行くの?!」と叫んだ。恐らく父親がこのままどこかへ行ってしまうのではと思ったようだ。私は「近所の人に説明してくる」。そして、公衆電話で京都にある妻の実家と、私の実家の佐賀に電話し、翌朝一番でこちらへ来てほしいと伝えた。
前夜から私と妻の友人たちにも「最後になるかも知れません。顔を見てやって下さい」と電話をしていた。
翌日は21日の日曜日、自宅前は東寺の縁日「弘法さん」で朝から賑わっていた。昨夜の医師の説明を再度、親戚、友人たちと聞いた。そして、救急治療室の妻の所へ、予防着、マスクを数人交代で付け替えて入った。
後日談だが、「病院出てから仲間とうどん屋に入ったが、涙と鼻汁で食べられなかった」という人もいたらしい。
ところが…。
とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。
(民医連新聞 第1618号 2016年4月18日)
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