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民医連新聞

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01 男の介護 千代野さんと奮闘記 [著・富田秀信] 制服はピカピカ、心はボロボロ

 20年前の4月19日は金曜日だった。ご多分にもれず「花金」でいつものように赤提灯でいっぱい。ちょうど腰のベルトのポケットベルが幸か不幸か電池切れ。今は携帯・スマートフォン時代だが、当時の営業社員はほとんどがこうだった。会社からの「ピーピー」との呼び出しで、テレフォンカードを持って、近くの緑色の公衆電話へ駆け込む。携帯電話が一気に普及し始めたのは、私の職場(神戸)も大被害を受けた阪神淡路大震災の翌年からだった。
 赤ら顔で右手に東寺の五重の塔を見て、左に入った路地の我が家の前に人だかり。「お父さんが帰ってきた!」「何してたんや、今まで連絡も取れず」「お母さん(千代野)が倒れたんやで」と矢継ぎ早の声。すぐには事態が飲み込めなかったが、酔いが醒めるのに反比例して事の重大さに気付いた。近所の人の運転する車で病院へ。子どもたちがいた。押し黙っていたが、状況を聞いて様子がわかってきた。
 3人きょうだいの末っ子の娘が帰宅すると、玄関の鍵がかかってなく、おかしいなと思って2階に上がると、母親が倒れていた。ビックリして近所の人と救急車を呼んだと言う。
 子どもたちを労い、タクシーで帰して私が病院のソファーに泊まり込んだ。妻は絶対安静中で、その夜は一度も妻の顔を見られなかった。もともと病院のソファーで寝られる訳が無い。まして突然のアクシデントで私の頭の中もグルグル廻っている。今何が起きているか? 妻の容態次第では今後どうなるか? 3人の子どもたちは大丈夫か? 私の仕事は今後どうなるか…? 考えの整理がつかないまま、翌朝を迎えた。
 看護師から「異変があれば知らせます」との事で一度帰宅した。頭はボーッとし体はだるい。帰宅すると、昨夜近所の人が子どもたちへと持ち込んでいた夕食の残骸がテーブルに散乱していた。
 土曜日なのに学校があるのか、娘は押し黙ってその散在した残り物をカバンに詰めて玄関へ。中学1年生成り立ての、ピカピカの制服の背中がガクッと落ち込んでいたのを、私は頭はボーッとしていたが、しっかり目に焼き付けた。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務。

(民医連新聞 第1617号 2016年4月4日)