原発事故から5年 “人間の復興”遠い 被害者が語る福島の「今」
被災地に関する報道は減っていますが、現地では「人間の復興」にはほど遠いのが実態です。いまだに10万人が避難生活を送る福島県では、国と東電の被害者への賠償打ち切りが相次いでいます。原発をなくす全国連絡会で原発問題住民運動全国連絡センターの伊東達也筆頭代表委員が行った講演(昨年12月)から、福島の現状を考えます。また、福島第一原発から18kmの距離にあり、診療休止が続く小高赤坂病院(南相馬市・104床)の渡辺瑞也院長に聞きました。(丸山聡子記者)
加害の責任投げ捨てる政府と東京電力
原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員 伊東達也さん
二〇一四年暮れ、政府と東京電力は福島第一原発事故による損害賠償を一六年三月で打ち切ると発表しました。これは「原発事故の被害が続いているか、暮らしが元に戻っているかにかかわらず、打ち切る」ということであり、「加害者である国と東電が被害者に意見を聞くことなく、一方的に決める」という理不尽なやり方です。
経営者も労働組合も医療団体も一緒に「オール福島」でこの方針に反対しました。その結果、当初の提案は撤回させました。ところが安倍内閣は、一五年六月に閣議決定した「福島復興加速化指針」で、再び賠償打ち切りを宣言。(1)労働不能損害賠償は一五年二月まで、(2)営業損害賠償は一七年二月まで、(3)自主避難者の住宅無償期間は一七年三月まで、(4)一七年三月までに居住制限区域と避難解除準備区域の避難指示を解除する前提で精神的損害賠償は一八年三月まで、という内容です。
原発再稼働と東京オリンピックのためなら、福島県民を犠牲にして構わないのでしょう。
事故がもたらしたもの
福島県がまとめた第一次復興計画は「(原発事故は)人類がこれまで体験したことのない未曾有のものであり、その克服は、一地方自治体の力を超えている。原子力災害は、事業者とともに国策として原子力発電をすすめてきた国が責任を負うべきである」としました。県民の思いそのものです。事故は東電と政府が起こした日本史上最大にして最悪の公害であり、今も苦悩をもたらし続けています。
まず国土の喪失。避難区域のある自治体は一一市町村↓八町村、役所の移転は九町村↓六町村に減りましたが、いまも人が住んでいない土地は八二四平方キロメートルに及びます。
次に、過酷な避難生活の継続。自主避難を含む避難者は約一〇万人。福島県が行ったアンケートでは家族の七割が心身の不調を訴え、アルコール依存症も増えています。
そして命が奪われ続ける。福島県民の震災関連死は二〇一六人(二月一一日現在、県調べ)で、震災の直接死一六〇四人を上回り、増え続けています。原発事故を原因とした自殺者は七四人、仮設住宅を含む避難先での孤独死が四六人です。
帰れない人が激増しています。楢葉町は、全住民が避難した七町村で初めて帰還宣言をしました。ところが帰ったのは二三一人で人口の四%。原発が立つ双葉町と大熊町はほぼ全域が帰宅困難区域で、一四年の調査では六割超が「戻らない」と答えています。
避難区域外にも一九〇万人の県民が暮らしていますが、原発からの距離や放射線量、それらを元にした賠償で分断と対立が持ち込まれています。これを乗り越える協同、連帯の運動が必要です。
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安倍政権は再稼働対象の原発を現在の四三基と、新設の三基とし、さらなる原発推進政策を打ち出しています。これは「原発大事故、次も日本」の道です。
営業損害賠償打ち切りで病院再開の見通し立たず
南相馬市・小高赤坂病院 渡辺瑞也院長
私たちは現場を失った――
患者さんと泣いて別れた
事故が起きた「あの日」から、私たちは現場を失いました。当時、病院は大規模修繕の最中でした。工事の足場は残ったままです。病院のある「避難指示解除準備」区域は四月に避難指示解除の予定ですが、病院の除染は済んでいません。住民の不安も強く、地域社会が元通りになるとは考えられません。患者や職員がすぐに戻れるはずもなく、病院再開の見通しは全く立ちません。
原発事故が起きた時は、二手に分かれました。副院長が比較的若くて動ける患者さんと避難し、五病院に転院。残った患者さんと職員は、三号機が爆発した一四日午後七時半頃、大型バス七台で病院を出ました。
翌朝到着した、いわき市内の高校の体育館は寒く、ついたての裏に複数の遺体が安置されていました。避難中に亡くなった別の病院の患者さんでした。転院先を探し、県内外の二つの病院に受け入れてもらいました。一八日に転院先まで付き添い、患者さんと泣いて別れました。
当院は、開放制の精神科病院として一九八一年に開設しました。医師が定着せず、一人で診療と経営をこなした時期もあります。次第に職員と患者に評価してもらえるようになり、被災当時は一〇四床を約八〇人のスタッフでささえていました。副院長も定着し、次年度には赴任を希望する医師もいました。苦労の末に新しいステップを踏み出せる…という時期でした。今でも非常に悔しいです。
賠償打ち切りで職員解雇
一昨年一二月、東京電力と経済産業省は、事故から丸五年となる一六年二月で営業損害賠償を打ち切ると発表しました。事故は収束しておらず、営業再開の見通しも立たないのですから、打ち切りなど想像していませんでした。私たちには何の落ち度もなく、原発事故によって営業休止に追い込まれたのです。しかも、この説明は経産省の担当者が行いました。国と東電は一心同体だと痛感しました。怒り心頭です。県内の事業者、団体はいっせいに打ち切り撤回を求めました。
その後、東電は一六年の打ち切りは撤回しましたが、二年分を一括で支払い、一七年で終了すると決定しました。政府も閣議決定で、二~三年で各種賠償を終了すると決めました。
当院は、休業後も職員の雇用は継続していました。賠償金で職員の社会保険料を支払い、職員の多くは就労不能損害賠償を受けて生活していました。しかし昨年二月、就労不能損害賠償が打ち切られ、院長と事務長を除き、残っていた四五人の職員を解雇することに決めました。本当に申し訳なかった。
二年での賠償打ち切りには納得できなくても、多くの事業者は資金繰りの厳しさ故に受け入れざるを得ない。東電の広瀬直己社長は「損害のある限り賠償する」と言ったそうですが、合意書には「これで終わり」という趣旨の文言も入っているそうです。実際に賠償の査定も厳しくなっています。東電と国は言うこととやることが全く違い、信用できません。このままでは被害者のやられ損です。
原発事故被災者への賠償内容は、自賠責や傷病手当金などの前例にもとづき定められています。これらは地域社会の存続が前提です。しかし原発事故の避難者が戻るべき地域はすでに崩壊しており、物質的な損害の補償だけでは不十分です。故郷を奪われた人たちの救済、賠償とは何か、原子力損害の総論を一から立て直すべきです。
原発は野蛮なもの
東電は「事故は想定外」と繰り返しています。裏を返せば、「想定外」のことは起こり得る、手だてがないということです。絶対の安全も安心もなく、過酷事故が起きれば、全住民が安全に逃れきることは不可能です。地域を完全に復旧、復興することもできません。「除染すれば安全」「元に戻れる」というのは嘘です。
原発を持つどの国も、原発事故による被ばくの影響を秘匿します。放射能による健康被害は小児の甲状腺がんにとどまらず、無害な被ばくなどありません。
原発は核兵器と裏表の関係であり、核兵器を持つためには原発が不可欠です。世界の原子力はIAEA体制下で管理されており、治外法権的領域です。ここでも健康情報は隠蔽されています。
以上のような理由から原発は絶対になくしたい、というのが私の考えです。
資料 被災者と健康
■虫歯の6歳児が全国ワースト1
福島県内で虫歯のある6歳児の割合が2014年度は65.5%となり、47都道府県で最多に(全国平均47.34%)。県が文部科学省の調査などからまとめました。虫歯のある6歳児の割合は減少傾向でしたが、13年度から増加に転じました。
■南相馬・相馬2市、糖尿病1.6倍に
南相馬・相馬の両市では、原発事故前と比較し、糖尿病と高脂血症の発症が高くなっています。日英の研究者が、08~14年に特定健診を受診した両市の6406人のデータを分析しました。
避難している市民と避難していない市民(事故後、一時的に避難して戻った人含む)に分けて分析。事故前の平均値を1として、避難している層では13年以降、糖尿病が1.6倍、高脂血症は14年に1.2倍に。避難していない層も糖尿病は1.3倍に増加しました。
メタボリックシンドロームに該当する福島県民の割合は、震災前年は15.2%で全国14位でしたが、13年は16.5%で全国3位に上昇しました。要介護の認定率も全国平均を1ポイント上回っています。
■被災3県、 仮設暮らしの影響
共同通信の調査によると、岩手、宮城、福島の被災3県、35市町村でプレハブ仮設住宅から通学する小中学生は約3800人。仙台市など集計してない7市町村を加えると、さらに多いとみられます。
プレハブ仮設1戸は標準で29.7平方m。子育て世帯には狭く、音も響きやすいため、学習環境への悪影響が懸念されています。換気が悪いためカビが発生しやすく、喘息やアレルギー疾患が増加。集団検診を実施した宮城県石巻市の仮設住宅では、受診者の2割以上が喘息かその疑いと診断されました。
(民医連新聞 第1615号 2016年3月7日)