相談室日誌 連載407 「災害関連死」 認定までの遠い道のり(広島)
二〇一四年八月、広島は集中豪雨に見舞われ、七五人が亡くなりました。Aさん(八〇代女性)は被爆者です。乳がん手術を経て、要介護度3、デイサービスや訪問介護などを利用して生活していました。同居の息子さんはその日、仕事で自宅におらず、Aさんは一人でした。発災から八時間、救出されたAさんは当院へ搬送されましたが帰る自宅はなく、近医に転院している間に肺炎を繰り返し、一五年三月に帰らぬ人となりました。息子さんは、被災直後から、自宅と避難所の往復をしつつ、生活再建の相談に何度も役所に足を運んでいました。Aさんの診断書を出したこともありました。
ところが、Aさんが他界したその三月、行政は息子さんに新たな診断書が必要だと告げました。五月、役所から連絡がないため問い合わせると、カルテなどの提出を示唆されました。
話を整理するためSWが市に連絡すると、本人が亡くなったので災害関連死として災害弔慰金の申請を受ける、そのための診断書だと説明。またカルテは直接の死因の肺炎と災害との関連を審査するために必要とのことでした。
「災害弔慰金の支給に関する法律」は「直接死」のほか、被災のショックや避難生活で体調悪化した「災害関連死」も含まれます。広島市はこの土砂災害での「関連死」を認定する「災害弔慰金支給審査委員会」の立ち上げにこの頃ようやく着手していたのです。七月に開かれた一回目の審査会で、Aさんの死は広島土砂災害の災害関連死第一号に認定。地元紙も大きく報じ、私たちも胸をなでおろしました。
二〇一一年四月、厚生労働省援護局は、市町村が委員会を設置し検討せよと通達しています(委員には、医師、弁護士、市職員、その他大学教授やSWなどが入ることが示されている)。福島や中越地震の教訓があったはずですが、市が委員会を招集するまで、発災から約一年かかりました。もっと早く設置できなかったのかと悔まれます。また、SWは被災者から罹災証明や医療費の相談に乗ることはありましたが、災害関連死の認定には考えが至りませんでした。他でも教訓にしてほしいケースです。
(民医連新聞 第1615号 2016年3月7日)