相談室日誌 連載406 無縁社会、「誰か」の善意で解決できるのか?(鹿児島)
肺炎で当院に入院したAさん(八〇代)は、養護老人ホームに入っていた男性です。入院中、経口摂取も困難になり、経鼻栄養、意思疎通も難しい、寝たきりの状態になりました。
唯一の親族であった息子さんは、Aさんの入院翌月に急死。私たちは成年後見人(市町村申し立て)の手続きを始めましたが、後見人決定には半年から一年近く時間がかかります。
病状が安定したため、急性期病院の当院から次の療養先を探すことになりました。それまでAさんが入っていたホームは、ADLが大きく低下したことを理由に、「受け入れできない」と伝えてきました。他も「身寄りが居ない人は難しい」「後見人がいない方を管理したことがない」「生活保護なら検討する…」などの反応ばかりで、受け入れ先はなかなか見つかりません。どうやら「金銭管理はできない」、「死亡退院時の対応はできない」という本音のようでした。
Aさんは施設入所前に生活保護を利用していたため、行政にも相談しました。しかし、行政からは解決策は出ませんでした。
結局、身寄りのない人の葬儀を引き受けているNPOや後見人が決まるまでボランティアで助言をくれる司法書士の助けで、ある療養型病院がAさんの転院を受けてくれることに。その病院のSWも「生協病院が困っているようなので、引き受けて金銭管理もしましょう」と医師や看護師に口添えしてくれたようです。
身寄りのない患者さんは珍しくありません。金銭管理をやむをえず行っている医療・福祉現場、行政の関与がないため、亡くなった患者さんの納骨までお世話したという他院のSW。治療計画書にサインをした司法書士もいます。
当事者が公的制度に結びつくまでの間は「誰か」がつないでいます。公的制度に結びつけられない場合は「誰か」が対応しなければなりません。個人の尊厳を守るため制度の隙間で奮闘している人たちがたくさんいます。
「無縁社会」は待ったなしの問題です。行政とも協力し、身寄りのない方の金銭管理や死後に発生する手続きを、誠実な対応に変えることができるようにしたいと考えています。
(民医連新聞 第1614号 2016年2月15日)