無低診薬代助成の実現へ 患者さんのためがんばれた 沖縄・こくら虹薬局
二〇一五年七月、沖縄・那覇市が無料低額診療事業を利用する患者に薬代助成を行うことを決めました。こくら虹薬局(沖縄健康企画)が、経済的に困難な患者の実態を自治体に示しつつ運動した結果です。法人の上原幸代社長は、「職員のがんばりと成長があったから」と語ります。薬局の職員たちは、無低診の患者さんの生活相談を重ねながら自治体を動かしました。
こくら虹薬局は、沖縄協同病院の門前薬局として、一日に約三五〇枚の処方せんを受け付ける大規模薬局です。そのうち約一〇枚が、病院で無低診の適用となっています。
薬局で生活相談を開始
沖縄協同病院は、二〇一〇年から無低診を始めました。その頃からこくら虹薬局では、保険薬局では無低診が適用できない矛盾を那覇市に訴え、薬代助成制度の創設を求めてきました。同時に、薬代の支払いが困難な患者さんの実態をつかもうと相談活動に力を入れていました。一二年からは、協同病院から無低診を利用する患者さんの処方せんを受け付けるたびに、その人と面談することに。
保険薬局にはSWがいません。面談にあたるのは事務職員。ベテラン、若手を問わず、「無低診」の処方せんを受け取った人が対応します。聞き漏れが無いよう質問項目の入った面談票を使います
「自分にできるのか不安だった」と、七年目の事務職員・伊良部翔太さんは振り返ります。患者さんの話したくないことも聞かなくてはならず苦労しました。中堅事務職員の新垣陽子さんも「通常の窓口業務もしつつ、面談するのは大変だった」と話しました。
しかし患者さんとの距離は近づきました。五〇代で非正規、定期収入がなく治療を中断しがちだった患者さんは、無低診を利用して生活相談を何度もするうちに、「タクシー運転手になれた。これが俺の車」と、職員たちに薬局まで就職の報告に来てくれました。「面談が喜ばれているとは思わなかった。話したくないことを聞き出し、不快に思われているかと思っていた」と新垣さんは話しました。
患者さんの実態も紹介しながら繰り返し議会に請願も出していましたが、「継続審議」が続きました。薬代助成を勝ち取った他の自治体の運動と比べ、署名数が少ないことが判明。県連とともに署名の推進委員会を作り、とりくみに力を入れました。
そして集まった四七〇〇筆の署名と相談事例を持ち一五年二月に請願。一四年一一月、沖縄県知事選挙に伴い那覇市政でも「オール沖縄」の市長が誕生し、「この市政で通らなければ…」というタイミングでした。請願は全会一致で採択され、今年四月から助成がスタートします。
人として向き合う
「患者さんの生活背景まで考えるようになった」と若手は口を揃えます。「署名集めは大変だった」と話す四年目の薬剤師・比嘉仁さんは、入職してすぐのとりくみで無低診のこともよく分かりませんでした。署名は、薬局の待合や医療生協組合員さんと地域を回り、集めました。活動を通じ無低診のことを理解し、薬を間引いていると思われる患者さんがいると「薬代に困っているのでは?」と気になり「いつでも相談にのりますから、薬は切らさないで」と声をかけ、“薬剤師と患者”ではなく、“人と人”として接するようになりました。
新垣さんは、どうしたら困難な生活状況を解決できるか考えるようになりました。地域の社会資源や制度を知り、必要な患者に紹介しています。伊良部さんは、「数百円でも払えない患者さんがいる。そうした人を救いたい」と言います。「本当は困難な人をささえるのは行政の役割のはず。がんばってほしい」と話しました。
「自慢の職員たち」
「面談や署名活動にとりくむ中で、職員は一人ひとりが患者の背景に目を向ける視点を持つようになり“普通のこと”として面談や署名にとりくんでいた」と宮城幸枝薬局長は言います。こくら虹薬局では、気になる患者を職員で共有することが定例となっていて、その生活背景をみることは職員皆が「特別」なこととは思っていませんでした。「面談を始めたことでその視点をより実感し、若手は成長しました。若手の成長に先輩職員は刺激を受け、職場全体で成長できました」と話しました。
上原社長は、「助成制度の実現は職員たちのおかげ」と言います。大変な思いをしながらも一つ一つ事例を積み、それが行政への詳細な事例報告や助成に必要な金額の提示に役立ち、実現につながりました。「通常業務で忙しい中、面談や署名活動もしっかりやり遂げた職員たちを誇りに思います」。
(土屋結記者)
(民医連新聞 第1611号 2016年1月4日)