里子・里親 文・朝比奈 土平 (12)アキラ、国会デビュー
八月一一日には、川内原発一号機の制御棒が抜かれた。桜島が噴火警戒態勢に入っても、総理大臣は夏休みでゴルフ満喫というカオスの夏。
アキラは繁華街をデモ友(?)の女の子と手をつないで「せん・そー・はん・たい」と四拍子でジャンプしたり、長谷川義史さんの絵みたいに拳を突き上げたりしている。
時に花火や川遊びで夏を楽しんで、盆には地域の子ども相撲で奮戦。幼児の部で二人抜きした。五歳児には熱戦の末に破れたが、生涯戦績を二勝一敗と勝ち越した。「ご飯もみそ汁も全部食べんとお相撲勝てんよ」と言うと一生懸命食べていたのが、相撲が終わるとこれを言っても「でもアックン二回勝ったとー」という。ほめすぎたか。
九日には家族三人で長崎へ。山王神社の片足の鳥居がずいぶん印象に残ったようで、ローカル線の片持ちの電信柱を見ると「ここも七〇ねんまえせんそうあったと?」ときく。
そんな夏の終わりに、アキラと二人国会に行きたいんやけどね、とお母ちゃんに言ってみたら「どうぞ。仲良くね」と送り出してくれた。
八月二八日朝ののぞみで東下りし、夕方国会前に出かけた。一〇万人大行動の前々日でも数千の人が集まっていた。昼寝もあまりしていなかったので、八時半頃に国会前を後にしたのだが、そのとき「大学三年で実質最後の夏休みで、他のこともしたいけど、今やらなければ」「僕が韓国や朝鮮やアジアの人たちと友達になって抑止力になってやります」とスピーチしていたのが地元の西南学院大学の後藤宏基君だった。
翌日の新聞の首相動静欄には、「7時39分~航空防衛機器大手ロッキード・マーチン社のヒューソンCEOと夕食会。9時18分自宅着」とあった。戦争屋め。
三〇日は一二時頃には国会正門前に。アキラは携帯用トイレで三回用を足して、途中二時間、抱っこの中で昼寝して、五時半過ぎまでいた。スピーチとコールを聴きながら寝顔を見ていたら「この子はSEALDsの弟なんだ」と心が波立った。いつまで一緒に現場に行けるかわからないけど「灯る戦の火種を消す」こと以上に大切なことはない。思春期の彼に「父ちゃん、行こうや」と誘われる幸福を夢想した。
(民医連新聞 第1604号 2015年9月21日)
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