第3回評議員会ひらく 戦争法案、必ず廃案に 総会までの重点を確認
全日本民医連は八月二二~二三日、東京で第三回評議員会を開きました。評議員八三人(予備含む、欠席一人)と全日本理事など約一七〇人が参加。前回評議員会から半年間の活動を総括し、二月の次期総会まで四一期方針をやりとげる意思統一を行いました。方針、理事会選考基本方針、二〇一五年度上半期決算を全会一致で採択し、特別決議「戦後七〇年、被爆七〇年、平和と人権をさらに高く掲げて」を拍手で承認しました。(田口大喜記者)
藤末衛会長はあいさつで、戦後七〇年の特別決議を出す意義に触れ、(1)戦後の日本の進路を変え戦争に向かおうという情勢、(2)「医の倫理」が問われる時代に入り、戦争犯罪の反省なしにはすすまない、(3)新自由主義とのたたかいで国際連帯する土台となる、(4)若手職員や共同組織に民医連の平和と人権のたたかいの成果と覚悟を伝える―の四点をあげました。
続いて岸本啓介事務局長が理事会報告。まず戦争法案を必ず廃案に追い込む決意を確認。各県から寄せられた議案の討議報告では、日本がいま歴史の岐路にあるとの情勢認識を受け止めたものが多いと報告しました。そして、闘病中だった沖縄の仲間が、亡くなる一〇日前に綴った議案の感想を紹介。そこには戦争政策や原発再稼働、貧困問題などへの怒りとともに「生命・生活を守っていくためには一人一人が声をあげてたたかうことが必要」とありました。
総会を展望した重点課題として、四つの運動課題(戦争法案廃案・憲法擁護、医療介護を守る共同の運動・共同組織月間、原発ゼロ・福島支援、政治を変えるとりくみ)と、二つの内部の課題(医師の確保と養成・医学生対策の前進、中長期の事業計画の作成・経営課題の前進)を確認しました。
なお一日目に、東京大学の石田勇治教授から、ドイツの戦後の歩みについての講演がありました。
61本の発言で活発に討議
二日間で、六一本の発言(うち文書発言六本)がありました。
戦争法案反対のたたかいの報告は七本。熊本の光永隆丸評議員は、県弁護士会主催の集会や若者デモがかつてない規模で行われていると報告。県連の全事業所で九条の会を再開し憲法を読む「一日一条」運動を開始。SEALDsの行動に参加しようとしている若手職員もいます。岩手の佐藤正勝評議員は、県知事選挙で自民党の予定候補が直前で不出馬に転じ、現職が無投票当選したと報告。戦争法反対の世論が与党を追い詰めていることを示しました。
鹿児島の長谷(ながたに)康二評議員は「川内原発の再稼働は許せない蛮行」と怒りの報告。しかし、運動に合流する若手も増え「私たちは負けたわけではない」と、たたかい続ける決意を表明しました。福島県連の北条徹評議員は「福島県民から見れば、被災の現実を全く無視した再稼働。川内の再稼働阻止の運動に連帯する」と語りました。
介護保険制度改悪には、議案討議の中でも多くの懸念が出ています。千葉の岩谷久美子評議員は二割負担になったため「デイの回数を減らしたい」、「訪問看護の時間を短縮したい」などの声が出ていると報告。林泰則事務局次長は、八月からの介護サービス負担増と介護ウエーブについて「影響の具体的な事例を通し、国や自治体に働きかけを」と提起しました。
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医師確保と養成では討論冒頭、増田剛副会長が報告。民医連の四〇歳未満の医師数は三〇%を切り、医学対活動のブレイクスルーが欠かせない、と「新卒医師二〇〇人、奨学生五〇〇人」の目標の医学対大運動を提起しました。
鳥取では、奨学生の空白や奨学生辞退が相次いだ時期を経て、医学生対策を見直し、低学年から長期休暇中の実習や面談、また奨学生の親との面談を実施。二〇一〇年から七人の奨学生が生まれ、辞退はない、と齋藤基評議員が報告しました。また「医師の確保と養成をすすめる決起集会」(東京)や、「医学連未加盟校で医ゼミ開催」(千葉)などの報告もありました。
谷口路代事務局次長が二〇一四年度経営実態調査(速報)を報告。医科法人では、四年連続減益、外来患者数の大幅減少など厳しい状況です。中長期の経営計画が改善には不可欠だと強調しました。
北海道の加地尋美評議員は、看護師の確保と育成について報告。学生実習にていねいに対応する余裕がないほど現場が多忙化する中、健康権の視点を看護学生に語り、看護実践と民医連看護の可視化を試みていると語りました。中央病院では新築移転後、救急を断らなくなった結果、低栄養で大きな褥瘡のできた高齢者や自殺未遂の若者など困難事例を従来以上にみていることも紹介されました。
歯科からは中田幸雄理事が報告。歯科は黒字事業所が約七〇%に。「歯科酷書や無低診で、弱者に寄り添う民医連歯科への信頼と共感が広がった結果」と。保険で良い歯科医療の署名に全県でとりくんでほしいと呼びかけました。
(民医連新聞 第1603号 2015年9月7日)