里子・里親 文・朝比奈 土平 (11)アキラ、病院に行く
アキラと三人の暮らしが始まったのが二〇一二年の七月で、一四年の夏の終わりに、家庭裁判所が特別養子縁組の申し立てを認める審判を出した。アキラには我々夫婦の実子と同じ法律的な権利が認められた。
裁判所の審判室で三人並んで判事の入室を起立して迎え、判事が着席して、「審判を申し渡します。先に申し立てのあった○○と◇◇の夫婦と△△アキラとの特別養子縁組について認めます」。三人顔を見合わせて少し涙ぐみながらニッコリ…なんて場面はなく、申し立てたことも忘れかけた頃に、裁判所の審判書が郵便受けにポスッと入っていた、という感じ。判事の顔も知らない。
裁判所に申し立てをしたのが三月で、事務官による聞き取りと訪問が一回ずつ。児童相談所と実親にも意思確認がされたと聞いた。産んだ母ちゃん、辛かったかなあ。
町の役場に審判書と旧戸籍を持っていって、書類の上のできごとが滞りなく済んだ。
アキラは一三年春から保育園に行くようになって、毎月のように高熱で一週間くらい休んで小児科通いをした。点滴注射には大いに泣いたけれども、「おじいちゃんはチクしても泣いてなかったね」とか「アンパンマンがからだに入ってバイキンマンをやっつけよるばい」などと慰めると、がまんしたり、「アンパンマンはチッサイと?」とチューブを見つめた。点滴しながら足を組んでゴロリと寝そべり鼻をほじるという余裕を見せることもあった。なかなか不敵な面構えで「特別なんとかってなん?」と聞いているように見えなくもないが、これは思い過ごし。
主治医から「扁桃腺とアデノイドだね」ということで連休明けに手術をした。子どもの全身麻酔とか、一週間近い同室入院に心身ともクタクタになった。幼児と一緒に入院しているオッサンは他にいなかったし。
里親委託中は、公費医療だったけれど、手術することを事前に児相に連絡する、という発想がなかったので、手術後に参加した里親会で話をすると、県の職員さんは「いつするんですか? え、もうしたんですか」とちょっと何か言いたそうだった。けれども、本人の健康が第一である。書類の話は、必要なら後ですればいい。
(民医連新聞 第1603号 2015年9月7日)
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