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民医連新聞

民医連新聞

原水禁世界大会 70年目の広島リポート 反核・平和 いま伝える、受け継ぐ―

 原水爆禁止2015年世界大会は、被爆七〇年の今年、広島と長崎の両地で行われました。原爆被爆者の平均年齢は八〇歳を超え、実体験に裏付けられた核廃絶の訴えを、次世代に引き継ぐことは急務です。八月四~六日の広島大会を取材しました。そこでは「伝える」声と、「受け継ぐ」決意が交差しました。(田口大喜記者)

 八月四日の開会総会には、国内外の三三〇〇人が参加しました。
 日本被団協代表委員の坪井直(すなお)さん(90)が来賓あいさつし、全身血まみれでさまよったあの日の体験を語り「原爆はいつまでもつきまとう。しかし、まだまだ。来年も再来年も、また会いましょう!」と力強く呼びかけ。会場からは大きな拍手が起きました。
 戦争体験者で俳優の宝田明さん(81)もスピーチ。「日本は被爆国でありながら、憲法九条をなし崩しにしようとしている。私は『もう白旗をあげなさい』と安倍首相に言ってやりたい」。

被爆者と若者たち

 五日には二一カ所で分科会が行われ、被爆者が語る企画に若者たちの姿が沢山ありました。
 分科会の「青年のひろば」では、被爆の実相を学び、核兵器をなくす意味を知ろうと、広島と長崎の被爆者の体験を聞きました。集まった青年は二五〇人。八~一〇人のグループに分かれ、被爆者から直接話を聞きます。「被爆体験を孫や家族に語ることは?」、「今の政治をどう思いますか?」など質問も活発に出ました。
 日本被団協が開いた「核兵器のない世界のため 被爆者と市民のつどい」では、「七〇年を生き抜いて」をテーマに、広島で被爆した三宅信雄さんと、長崎で被爆した漫画家の西山進さん(本紙に連載中)が発言。三宅さんは、原爆が投下された時、電車に乗っていました。とっさに飛び降り、何とか助かりましたが、爆風で割れたガラス片が全身に突き刺さった人々を目撃。広島は変わり果て「地獄に放り込まれたようだった」と話しました。
 日本被団協の田中熙巳(てるみ)事務局長は、被爆者の七〇年間のたたかいを報告。戦後一〇年、原爆被害の実態は隠されていました。全国の被爆者が立ちあがったのは一九五四年のビキニ核実験で起こった原水爆禁止運動。草の根のたたかいを重ね、数々の救済制度をつくらせていきました。しかし、いまだ国の補償はありません。「戦争被害者を放置するのは、戦争に反省していない証拠。国に責任を認めさせることは、被爆者だけでなく国民の課題」と強調しました。
 被爆者の話を受け、広島大学の学生・小林卓也さんが若者代表で発言。戦後七〇年を機に平和のための行動を起こしたことを報告。「当たり前に生活できるのは平和のおかげ。一人でできることは少ないが、多くの若者を巻き込み、被爆者から受け継いだ思いを伝えていく」と、決意しました。

交流し、決意確かめあう

 八月五日夜は民医連の参加者交流集会。二一八人の参加者の中に九八歳の被爆医師・肥田舜太郎さんも。肥田医師は「民医連は患者のいのちに忠実に働ける医療機関をつくろうと設立されました。核兵器に反対するのと同じく、人間のいのちのために、骨身を削る医療人になって」と話しました。
 馬渡耕史副会長は、再稼働目前の川内原発にふれ「核の問題と原発や戦争の問題は繋がっている。戦後七〇年の節目の参加者として、歴史の主人公になる気持ちで立ち上がろう」と呼びかけました。
 八月六日の閉会式では、参加者五五〇〇人が原爆の犠牲者に黙祷。各地の活動報告も。民医連からは、宮崎民医連の一年目研修医・松尾裕樹さんが発言。戦争も核もない世界をめざしたいと訴え、感動を呼びました(別項)。

*   *

 世界大会初参加の職員も多数。宮崎生協病院に今年入職した黒木みなみSWはこう語りました。「自らの人権を勝ちとってきた被爆者の姿に感動。患者さんのいのちと人権を守るSWの仕事を見つめ直す機会にもなりました」。


松尾医師の発言(要旨)

 医師研修を始めてから、生と死に触れる機会が増え、より一層いのちの輝き、生命の尊さを感じるようになりました。
 仮に戦争が始まり、目の前に傷ついた兵士が運ばれてきたとします。私たち医療者はもちろんその兵士を救おうとするでしょう。しかし、癒えた兵士が向かう先は再び戦場です。今度はいのちを落とすかもしれません。私達はその兵士を救ったと言えるのでしょうか。さらに今度はその兵士が誰かのいのちを奪うかもしれません。引き金を引いたのはその兵士の指でしょうか、私達の指でしょうか。
 いのちを救う医療がいのちを奪う行為になりかねない戦争は絶対あってはならない。多くのいのちを一瞬で奪う核兵器も強く拒絶します。
 戦後、日本は憲法9条の下、反戦・反核を貫いてきました。しかし今、戦争への道を歩んでしまっています。私達は全国の民医連の仲間とともに反戦・反核の運動を続けます。今回の世界大会で、多くの方と触れ合い、被爆者の方々の話を直接聞く機会を得て、あらためてその決意を固めました。

(民医連新聞 第1602号 2015年8月17日)