里子・里親 (9)「里親会」にて 文・朝比奈 土平
戦争法案が強行採決をされた七月一五日、家に「アベ政治を許さない」プラカードを貼り出し、夕方に繁華街の街宣にアキラと出かけ、「怒りは力。僕らは必ず勝つ」と叫んだ。
ア・べ・ハ ヤ・メ・ロ
児童相談所の呼びかけで、「里親会」が毎月開かれる。週末と平日に交互にあって、年に二、三回出られるかどうか。参加もお母さん達がほとんどで、なんだか気が引けるというのもある。「夫はいかに子どもの世話をしないか」なんていう話題が多くて、いたたまれない。「子育ての主な実務担当者はママで」みたいな壁を感じることも多い。
児相にしてみれば、委託中や養子縁組完了などに関わらず、里子と里親とが円満な関係を作って、子どもが幸せになってほしいと考えているのだろうし、里親の側だってそのつもりで里親登録している。
ただ、我が地方では、まだ里親会は行政の補完役になっていやしないかと感じる。あるとき、会長さんが「里親の仕事は、福祉のお世話になってお金を使うだけの子どもにしないで、立派な納税者に育てることです」と得々と持論を話した。彼の視点にはとても違和感を感じた。
「チョコレートドーナツ」という映画がある。八〇年代のカリフォルニアで、ゲイのカップルがダウン症の少年を里子に迎えようとして偏見と格闘する。これを観て、いい意味で「ふるえた」後、里親会でLGBTの話をしたら、あるベテランの養育里親さんは「でもそれは家族の形を誤解しますよね」と語り、児相の職員は僕と目を合わせなかった。映画の原題は「ANY DAY NOW」。訳は「いつの日にか」。
僕ら家族の場合をふりかえると、アキラを迎える前から「面会に行ってきた」とか「今度うちに泊まりにくるんだ」と、嬉しくていろんな人に話していた。おかげで「私が初めて赴任した教会の玄関に捨てられた子がいて、一年後に里親になった。その子が大学に行ったときは、この県で初めての里子の大学進学だった。困ったときはいつでも相談に来て」なんていう牧師さんとも知り合った。慣れない暮らしの喜怒哀楽を、全部でなくても、あけっぴろげの方が楽だと思う。
あさひな・どへい
東日本大震災を機に、男の子の里親になった四〇代。妻はドクター
(民医連新聞 第1601号 2015年8月3日)