相談室日誌 連載397 被災地の除染作業員とかかわって見えたこと(東京)
AさんはB市在住の六〇代の独居男性です。一年ほど前から南相馬市で原発事故後の除染作業に従事していましたが、四月に小脳梗塞を発症し現地のC病院に救急入院しました。無保険で、生活保護を申請しましたが、幾らかの預貯金があったため受理されず、国保証と限度額適用認定証がなんとか遡って発行されました。
幸い見守り歩行まで回復しましたが、五月末で会社は解雇、C病院からはB市の自宅に退院する方針が出ました。しかし、高次脳機能障害があり金銭管理や内服は難しく、介護保険も未申請。B市の地域包括支援センターが介入し、リハビリの評価と在宅調整目的で当院の回復期リハビリ病棟に入院しました。
お会いしたAさんは、話し始めると興奮し、矢継ぎ早になるなどコミュニケーションが苦手で落ち着いて会話することが難しい方だと分かりました。高次脳機能障害だけでなく、発達障害を抱えていることも疑われました。
根元が真っ白になった髪、ほとんど歯の無い口元から、これまでの生活の苦労や生きづらさが感じられました。東北の九人兄弟の末っ子で、幼いころ里子に出され、大学卒業後は、運送業や警備など職を転々とし、六〇歳を過ぎて仕事が途切れた時には生活保護を受けた時期もあったそうです。当院に来た時には所持金はほとんどなくなり、B市で生活保護が受理され、ご本人もやっと安心したようでした。
後日、C病院のSWから連絡が入り、Aさんのように被災地に入る多くの作業員が抱える社会的問題について聞きました。
社会保険に加入している人はごくわずかで、多くは国保や無保険。生活基盤が不安定で自身の健康管理もままならない中で働き、受診や入院に伴い、医療費はもとより、身元や住民票の所在も不明で、家がなく身寄りもいない、退院支援が難航するなど、多くの問題がある、とのことでした。事業所内でこうした情報を共有する機会を作りました。こうした災害や大事業の裏で社会的に弱い立場にある人たちの複雑化した問題が浮き彫りになってくるのだと、あらためて身の引き締まる思いです。
(民医連新聞 第1601号 2015年8月3日)