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民医連新聞

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里子・里親 文・朝比奈 土平 (1)はじめまして

 「せんそうのへりこぷたーきたらうるさいから、こんでって、ことりがテントにはいってきたん?」
 沖縄県東村高江からの帰り道、ロランCのレーダー基地を通り過ぎたあたりで、四歳のアキラが言った。ヘリ基地反対のテントで四時間ほど一緒にすわっているときに入ってきたホントウアカヒゲが印象的だったみたいだ。テントの左側には憲法九九条が、右側には全日本民医連の連帯の横断幕がかかげてあった。
 二〇一五年の一月にお母ちゃんの勤続二〇年の休暇を利用して、高江、辺野古、伊江島、名護、今帰仁(なきじん)などヤンバルを巡った。
 一緒に暮らして二年半たつけれど、親子三人が朝から晩まで一緒にいる日が二週間も続くのははじめてのことだった。父子二人で一日中というのはしょっちゅうであるけれど。
 アキラは東日本大震災と原発事故の半年ほど前に二〇〇〇グラムを少し超えたくらいで生まれた。
 彼は母子手帳の記録によれば、一度か二度、生みの母の母乳を飲んだけれど、いろんな事情があって、産院を退院する時には児童相談所のセンセイが県内の乳児院に連れて行ったと聞いた。
 二〇一二年の三月にはじめて会った。七月に我が家に来てそのまま居着いて、二年後の一四年八月には家庭裁判所が特別養子縁組を認めた。
 お母ちゃんは内科医で、研修医の教育なども担当している。患者さんからずいぶん育てられたようだ。一緒に過ごす時間は短いが、だいたい優しい。でも怒ると本当に怖い。
 父ちゃんはこれといった才能がない専業主夫で、なんでも安請け合いしては後悔している。子育ては珍しく飽きないで、よく怒るけれども、すぐ猫なで声を出したりふざけたりする。
 去年の秋には東京に行った。公園に作った舞台の上でキラキラおねえさんが「再稼働反対」とか「子どもを守れ」とかいろんなことをコールして、みんなが声を合わせてレスポンスしたけれど、七割くらいはちゃんと言えた。父ちゃんははじめ笑ってから、なにか複雑な顔をしていた。
 それでこのまえ聞いてやった。
 「とおちゃん。げんぱつって、なん?」

(民医連新聞 第1593号 2015年4月6日)