青森民医連フィールドワーク 医学生が直撃! 「町長、原発建設をすすめるのはなぜですか?」 @大間町
四年前に起きた東京電力福島第一原発の事故で、日本中が原子力発電の危険性を思い知りました。しかし、世論とは裏腹に、再稼働や原発の建設をすすめる動きが。「なぜ?」そんなストレートな疑問を医学生たちが青森県大間町で町長や住民にぶつけました。青森からの報告です。
昨年一二月六~七日、青森民医連は医学生の下北半島原発フィールドワークを企画しました。震災後、原発をテーマに毎年行っているものですが、今回は原発を建設中の大間町で建設を推進する町長との懇談が実現。同町で計画されているのは、フルMOX燃料使用という世界にも類を見ない極めて危険性の高い原子炉です。事故後、海を挟んだ対岸の函館市が住民とともに建設差し止め訴訟を起こしています。医学生五人を含む一〇人が参加しました。
町長に聞いてみた
大間町の金澤満春町長には、原発についての考えとまちづくりについて聞きました。
町長は、海が変化して昆布が採れなくなっていることや、観光の目玉にマグロを据え全国から人を集めたい、と考えを語りました。
原発については「原子力技術は必ず発展し、安全に使えるようになる」と語り、函館市から訴訟を起こされていることには「反対の人がいると分かっているが、私の賛成の立場は変わらない」と。
医学生たちは「大間原発の安全性は確保できているのか?」「原発以外のまちおこしはないのか?」「原発事故後、大間では反対の声が大きくなっていないのか?」などと質問しました。
町長は、「『一〇〇%安全』とは言い切れないが、私は国の技術者を信頼している」「函館市の反対は否定しない。放射能を飛ばさないようめざしている」と見解を表明。そして「原発建設で雇用が創出される。多くの人が視察で大間町に訪れる。フェリーの運行も原発の交付金でまかなっている」と、経済面での必要性を強調。町民の意見については「福島での原発事故後も、反対意見は私には届いていない」と断言しました。
住民の声を聞き取ったら
町長との懇談に先立ち、医学生たちは大間町の住民に原発についての聞き取りをしていました。職員と医学生が二人一組になって住宅を訪問したり、商店に飛び込んで意見を聞きました。
「(建設には)反対したいけど反対とは言えない。町民同士ではこういう話ができない」。
「考えたこともない。賛成でも反対でもない」。
「経済的にやむを得ないのではないか。福島の事故があってからはやめたほうがいいと思うが」
「原発は好きでないし、本当は賛成でない。原発に反対して電源開発の土地買収に応じず、『あさこはうす』を建てて抵抗した熊谷あさこさんが正しかった。町には借金があるから建設を推進するのではないか?」。
応じてくれた町民七人のうち、積極的に原発建設に賛成していた人は一人もいませんでした。
どう考えた?
聞き取りや懇談を終えて―。
「大間にも反対の町民がいて驚いた」「安全で良い原発を作っていかなければ、と町長は言ったが、その前に事故が起きたらどうするのか?」「賛成と反対の議論は平行線だった。もっと勉強して広い人たちと交流もして、原発をなくしたいと考える人を増やしたい」と、意見を出し合いました。
そして「原発がある地域に安心して住み続けられるだろうか」と議論しました。二日目は東通原発の視察と核燃料再処理施設がある六カ所村へ行きました。
今回の企画の発端は、昨年六月に行った函館―大間のフィールドワークでした。「あさこはうす」の訪問や函館市での反対運動について聞く内容でしたが、参加した医学生から「反対意見だけでなく、賛成派の話も聞いては」という意見が出たのです。
そして、その賛成派の「ビッグネーム」が大間町の金澤町長でした。大胆な発想に担当者も周囲の職員も「ヤバイ」とためらいましたが、思いきって挑戦。医学生から「今回は今までと違った」との声ももらえました。
学生たちは原発について月一回学習していこうと話しています。
(矢作史考、健生病院・事務)
(民医連新聞 第1591号 2015年3月2日)