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民医連新聞

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4年目の仮設ぐらし 被災者を訪ねて ―岩手県 山田町―

 東日本大震災から間もなく四年。岩手、宮城、福島の被災地では、今も約九万三〇〇人が四万二〇〇〇戸の仮設住宅で生活しています(昨年六月時点)。仮設住宅の使用期間は本来二年以内、すでにその倍の時間を重ねています。岩手の仮設住宅に被災者を訪ねました。(田口大喜記者)

 大雪の岩手県盛岡市から車で四時間、峠道を越えて山田町に向かいました。青く透き通った山田湾には、特産のワカメ養殖やカキ棚が無数に並びます。しかし、津波に襲われた土地は更地のまま。「復興」とはほど遠く閑散としていました。
 同町では三三六二の家屋が津波被害にあいました。現在四〇〇〇人の被災者が民間住宅を借り上げた「みなし仮設」を含む、約二〇〇〇戸の仮設住宅で暮らします。

「お茶っこ会」で情報集め

 障害者作業所を拠点に毎週開かれている「お茶っこ会」にお邪魔しました。四~一〇月まで盛岡医療生協が月二回の支援に入っています。取材した二月一〇日は通算一七三回目、三〇人ほどの被災者が集まっています。
 作業所理事長の佐藤照彦さんが最初に町の復興状況や情勢を報告。お菓子を食べながら談笑し、カラオケも楽しみました。漁民組合が海産物の訪問販売にも来ていました。
 「山田町の状況を聞きたくて毎週参加しています」と語る八五歳の女性は、息子と二人、六畳の仮設住宅に入居しています。窮屈で満足に休めず、交通の便も悪いため、買い物や通院も困難な生活が四年続いています。「早く安心できる生活に戻りたい」との思いで、行政の対応を注視していました。

「仮設で生涯終えるのか」

 「お茶っこ会」に来ていた甲斐谷クミ子さん(82)の仮設住宅を訪問しました。甲斐谷さんはひとり暮らし。自宅は津波で跡形も無く流されました。「『すぐ帰るから』と、ろくに準備もせず避難しました。家が無くなるとは考えてもいませんでした」と振り返ります。
 部屋に入ると、三人のご近所さんたちがお茶を飲んでいました。全員ひとり暮らしで、毎日顔を出しているそう。一〇人以上が集まることもあり、境遇が似たもの同士の絆がうまれています。
 プレハブ作りの仮設住宅はいつ壊れるかと不安です。しかし、一向にすすまない復興住宅の建設に「仮設で生涯を終えるのでは」と、焦りと諦めのため息が漏れます。
 反面、仮設を出れば励まし合った仲間たちと離ればなれになるのも心配です。全員が希望通り復興住宅に入れるとは限りません。被災のショックで精神科に通っている人もいます。

課題は山積み

 「復興が遅れている主な原因は大きく二つある」と、民医連OBで岩手県生活と健康を守る会連合会の川口義治事務局長。同町には震災後、会の単組ができています。
 ひとつは働き口の問題です。復興に関わる仕事は一生は続きません。がれき撤去の仕事は二年半で終わりました。町の人口は四年間で二五七〇人減、全人口の一三%にあたります。若年層では一七%が地域を離れました。さらに、福島第一原発事故の風評被害で、漁業も強烈なあおりを受けています。
 もうひとつは住宅の問題です。山田町は七七七戸の復興住宅を建設する計画ですが、完成したのはわずか七二戸、目標の一割にも届きません。資材不足と人手不足です。震災前に比べ建築費は二倍に高騰。東京オリンピックの都市開発で、人や資材が都市部にとられていることも影響しています。
 また、住まいのめどが立たない中、新たな不安が。岩手県は、被災者の医療費窓口負担の免除を二〇一五年一二月末まで延長しましたが、その先継続されるかどうかは未定です。「せめて仮設を出るまでは…」との声が相次ぎます。
 さらに、流された土地を町に買い上げられた代金が収入認定され、各種保険料が跳ね上がってしまった被災者もいます。「およそ人の血が通った対応とは思えない」と不満は募ります。
 仮設住宅での高齢者の孤独死も多く、万一に備えた緊急通報システムの設置が要望されています。

*   *

 生活の相談を受けている川口さんの事務所には、「早く仮設を出たい」、「このまま死にたくない」、「欲は言わない、助けて」という声が届いています。川口さんは「課題は山積み。声をあげ続けなければなりません。これからが正念場です」と語ります。

(民医連新聞 第1591号 2015年3月2日)