相談室日誌 連載386 「困難事例」と思ってしまうけれど 原田律子(群馬)
常に不満ばかり、何を言っても拒否されてしまう、そんなことが時々あり、つい「困難事例」と思ってしまいます。
今回、退院支援依頼が入ったAさんも、そんな方でした。要介護5のAさんは施設で骨折し、入院となりました。一連の対応に納得がいかないということで、既に、Aさんの妻と関係者の間は相当こじれてしまっていました。
SWとの初めての面会で、妻は堰(せき)を切ったように経過を話し始めました。そのまま、一時間ほど聴きました。二日目も同様でしたが、三日目になって、妻に少しずつ変化が起きます。これまでは、「状況」を説明されていましたが、夫が要介護になったのは自分のせいではないか? という「感情」が出てくるようになってきました。さらに、Aさんを思って「旅行にいった」ことなど楽しんできたこと、努力したことが出るようになり、落ち着いてきているように見受けられました。
その後、妻は関係者からの謝罪を受け入れ、今後について相談をし、退院先も決まりました。「何だかよくわからないけど、いい形になりました」と話していたのが印象的でした。
Aさんの退院依頼が入った際、事前情報に、「大変そうなケースだなぁ」と思う自分がいました(未熟な証明です)。会って話を聞くうち、「ナラティブ」が有効ではないか、と思いました。非援助者の立場をとり、相手の小さな声、経験に基づいた語りに注目する支援方法で、否定的な物語に押しつぶされていた肯定的な物語を整理し分厚くしていくアプローチです。このケースも「骨折してしまった物語」と「充分がんばっている物語」の均衡修正を図りました。
基本的に人は、これまでの自分も今の自分も誰かに認めてもらいたいし、自分でも認めてあげたいはずです。しかし残念ながら、今は他者から認められにくい社会になってきていると思います。ですから自分で自分を認める力が、生き抜くためには必要で、その方法の一つがナラティブなのかなと考えています。
SWは、たまにはこんなこともやっています。
(民医連新聞 第1590号 2015年2月16日)
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