相談室日誌 連載385 就労困難な難民政策のいま 坂口真一(兵庫)
Aさんは、香港を経由して日本に来た四〇代のベトナム人です。一六歳の時、祖国を出て香港に渡ったそうです。香港で三年の収容所生活と四年の就労生活、計七年を経た後、日本に入国。当時、姫路に設置されていた定住促進センターの関係で、インドシナ難民が姫路周辺に集まっていました。Aさんも知人を頼って姫路に来たそうです。
日本での難民申請も受理され、ベトナム国籍の女性と結婚もしましたが、奥さんは本国に強制送還に。いまは生活保護を受けて一人暮らしです。コミュニケーションはなんとか片言の日本語でとれます。しかし、就労は長続きせず、職を転々としていました。
当院には、他院からの転院で来られました。小脳梗塞の影響か、頭痛やふらつきなどの症状がありました。担当医師や生活保護ワーカーと話し合い、一時的にでも救護施設を利用し、食生活の改善と見守りのある生活を送ってみないか、Aさんに提案することにしました。職探しは、身体をきちんと治してからが良いと考えたからです。しかしAさんは、施設利用を拒否し、自宅に戻ることに。
本人の話から、香港での収容所生活の辛い体験が尾を引いていることが窺えました。
日本へ定住を希望する方への教育、健康管理、就職斡旋を目的として、定住支援プログラムが実施されていましたが、二〇〇六年の国際救援センターの閉所に伴い、プログラムも消滅しました。現在でも、地域難民相談コーナーが市町村に設置されていますが、十分なアフターケアはなされていないのが現状のようです。
日本語を勉強する機会が少ないため、低賃金の職業から抜け出せず、生活保護受給を余儀なくされている難民も少なくありません。生活も不安定なため、病気になる人も出ています。政策の継続性や個別支援の欠如がもたらす影響と考えられます。体に不安を抱えながら、一人母国を離れ生活している難民の問題は、決してAさんだけの特殊な事例ではないと考えています。
(民医連新聞 第1589号 2015年2月2日)
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