限界集落ささえる介護 “島での生活続けてほしい” 岡山・さくら苑指定居宅介護支援事業所
岡山民医連の「さくら苑指定居宅介護支援事業所」は、瀬戸内海にある犬島まで船に乗って訪問しています。最盛期は6000人いた 島民も、今はわずか50人。65歳以上が8割超の“限界集落”です。「近い将来、“最後の島民”が現れるかもしれない。少しでも長く、島での生活が続けら れるよう通いたい」とケアマネジャーの渡辺栄子さんは語ります。(新井健治記者)
■船に乗って訪問
昨年一一月、渡辺さんと島に渡りました。事業所から車で三〇分かけて港へ。定期船に乗り換え一〇分ほど。木々が風にそよぐ音や鳥の声がはっきり聞こえます。島には公道はなく車が走りません。小中学校は二〇年以上前に廃校になり、子どもは一人もいません。
「ゆったりした時間の流れが心地良い。でも、今のままではいずれ誰もいなくなってしまうのかと思うと、切なくなります」と渡辺さん。
かつては銅の精錬所があり、歩いて一時間で一周できる狭い島内にも大勢の家族が住んでいました。今はこれといった産業がなく、若い世代は島外に出て大半が高齢の夫婦二人か独居世帯。
この日、最初に訪問したのは七〇代の認知症夫婦宅。要介護2の夫は咽頭がんの手術で声帯をとっており、意思表示が困難です。妻は、しっかりしているよう に見えますが、要介護1と認定されています。ヘルパーの訪問が入るまでは食事がきちんととれていませんでした。
夫婦宅には渡辺さんのほか、さくら苑訪問看護ステーション、他法人のヘルパーステーション、ショートステイの職員計四人が集まり、サービス担当者会議を開きました。
夫はベッドからなかなか出ようとせず、一年ほど入浴していません。会議の結果、入浴介助を兼ねて訪問看護を入れることに。ここで問題になったのが訪問時 間です。定期船は一日往復八本だけで、訪問前後の時間がぽっかり空いてしまいます。「他の要介護の人を探して、訪問を入れては?」との提案もありました が、結論は出ませんでした。
■介護ウエーブで状況知る
島とのかかわりは、二〇〇九年に法人(岡山中央福祉会)で行った介護ウエーブです。職員一 二人が「利用者以外にも、地域の高齢者の実態を知ろう」と、事業所と同じ行政区の犬島を訪問。島に常設の医療機関や介護施設はなく、入院や介護が必要に なった住民は島を出るしかないと知りました。
法人で支援方法を議論し、港に近い他法人や岡山市とも協力して一昨年三月から訪問を開始。島は事業所から遠く、一~二軒の訪問に一日がかり。今は行政の 補助がありますが、当初は港の駐車場代と船賃も事業所の負担でした。それでも通うのは「住み慣れた地域で暮らしたい島民をささえる」という思いからです。
介護が必要になり、いったんは島外のマンションや施設に移ったものの、「不便でも島がええ」と帰ってきた人も。しかし、島の暮らしは高齢者には大変で す。通院や買い物は定期船で渡り、港からタクシーかバスを使います。冬に欠かせない灯油は商店が船で運び、船着き場まで取りに行きます。
介護サービスの利用にも制約が。訪問系は事業者の努力もあり、なんとか使えるようになりましたが、通所系はほとんど使えません。
■生活に欠かせない資源
二軒目は森本さん夫婦のお宅。要支援2の妻の定子さん(76)は腰椎圧迫骨折で岡山協立病 院に入院し、今は週に一度だけ開く島の臨時診を利用。眼科は港からタクシーで通っています。夫婦とも島で生まれ、島で育ちました。一人息子が本土に家を新 築して両親の部屋を用意しましたが、「いよいよという時までは島で暮らしたい」と口をそろえます。
「一カ月前、『娘のところへ行く』と島を出ていった人がいた。体が弱くなり、出てこれんようになった人の買い物を手伝っている」と夫の千尋さん (79)。島民はみな顔見知り。家族のように助け合って生きています。
「何かあったら遠慮せず、すぐに電話して」。帰り際、名残惜しそうに渡辺さんの手を握った定子さんに、渡辺さんは優しく語りかけました。
「医療や介護は、地域で暮らし続けることを保障する社会資源です。また、同じ保険料を払いながら、サービスが使えない地域があるのはおかしい」と渡辺さん。
「『困っている人を助けたい』という思いで、民医連以外の事業所も島に通っています。犬島に限らず地理的な制約がある地域は全国にたくさんあります。介 護保険が改悪されれば、こうした地域でサービスを続けることが、今以上に困難になります」。
(民医連新聞 第1588号 2015年1月19日)