うつ病、自殺…福島の被災者ささえる 青森・精神科医チーム
原発事故から三年九カ月。福島では今なお、約一二万人が汚染された故郷に帰れません。長引く避難で被災者のうつ病や自殺が増える 中、青森民医連の藤代健生病院と健生病院の精神科医師集団が、福島県相馬市のメンタルクリニックの医師支援を二〇一三年から開始。藤代健生病院の関谷修院 長は「震災を忘れてはいけない。ニーズのある限り支援する」と話します。
(新井健治記者)
昨年一一月、相馬市で最大の大野台仮設住宅を訪問しました。市街地から離れた山の中腹に、相馬市、南相馬市、浪江町、飯舘村の被災者一五五五人が九ブロッ クに分かれて住みます。震災で住まいも仕事も失った相馬市の男性は、アルコール依存症とうつ病でひきこもりがちになり、四〇代の若さで仙骨部に褥瘡ができ ました。
震災前は七〇坪の自宅でしたが、今は五畳の部屋で一人暮らし。「復興住宅にも応募したが、なかなか当たらない。早くここを出て仕事を見つけたい」と言います。
仮設で戸別訪問やサロン活動を展開する「相馬広域こころのケアセンターなごみ」の米倉一磨センター長(看護師)は「先が見えないストレスから体調を崩す 人が多い。避難の長期化で、震災直後より、むしろこれから問題が起きる」と指摘します。
避難生活による体調悪化などから病死したり自殺に追い込まれた「震災関連死」が、福島では被災三県で最も多い一七五八人(昨年九月)にのぼり、直接死を 上回りました。被災地の深刻な状況は、何も変わっていません。
精神科医療の空白地帯で
青森の医師集団は一昨年四月から毎月一回二日間、交替で相馬市唯一の精神科診療所「メンタ ルクニリックなごみ」で外来を担当しています。一一月に支援に来たのは藤代健生病院の吉田宏美副院長。勤務後に弘前市を出発し、車で五時間かけて深夜に相 馬市へ。翌日の朝九時から診療し、三〇分から一時間かけて初診患者の話を聞きます。「ストレスでうつ状態になった仮設の住民や、認知症患者が多い」と吉田 副院長。
相馬市はもともと、精神科の病院も診療所もない空白地帯でした。原発事故で近隣の多くの医療機関も閉鎖。行き場のない被災者を救おうと、福島県立医大を 中心にNPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」※が発足し、会を母体に二〇一二年一月からクニリックとケアセンターが始動しまし た。
クリニック所長の蟻塚亮二さんは、沖縄協同病院の元医師。一昨年四月に就任以降、一カ月で二〇〇人ほど患者が増えました。故郷を失った喪失感や、仮設の住環境によるストレスが原因です。
患者の五〇代男性は仮設住宅の壁が薄いため、足音や風呂に入れる湯の音にも気を遣い、体重が一五kgも落ちました。将来のことを考えると「頭がパニックになる。死にたい」と訴えるそうです。
「仮設の生活が長引くほど、こうした患者は増える。復興予算はゼネコンにつぎ込まれ、被災者の住宅には回ってこない。『何もなかったかのように、こうこ うと輝く都心のネオンを見ると、胸がかきむしられるようだ』と話す患者もいました」と蟻塚さん。
地道に支援を続ける
藤代健生病院の関谷院長は、震災直後に宮城県多賀城市の避難所に駆けつけました。津波にのまれ、次第に冷たくなる母親を抱えながら生き残った男性らの話に耳を傾けました。
「被災者のがまん強さに強い衝撃を受けた。被災者に向き合うことで、勇気づけられるというか…。うまく表現できませんが、支援に行くことでエネルギーを もらっているのは確かです」。同院は計一三回、のべ三八人が震災支援を行いました。
震災から時間が経ち、職員の間では支援に対する温度差もあります。「多くの職員に参加してほしいのですが、なかなか体制が整いません。でも、支援は被災 地を目の当たりにした医師の責任。細々とでも地道に続けます」と語ります。
相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会 福島第一原発事故で、原発のある大熊町、双葉町を含む相双地区(相馬市、南相馬市など沿岸部)の精神科病院が壊滅状態に。震災、津波、原発事故と複合災害 を受けた被災者の行き場がなくなった。福島県立医大が震災直後に「心のケアチーム」を立ち上げ、臨時外来や避難所訪問を実施。民医連をはじめ全国の医療機 関が協力した。心のケアチームを継続し二〇一一年一一月に「つくる会」が発足した。
(民医連新聞 第1587号 2015年1月5日)