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民医連新聞

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リアル社会を生きるゲイ職員の性講座(17) 文・杉山貴士 ゲイと政治 ~発言できる当事者と、声を出せない当事者の立ち位置~

 衆議院が解散しました(執筆現在、投票日前)。唐突な解散の印象が否めませんが、暮らしといのちを脅かしてきた政治にしっかりNOを突きつけたい ものです。以前、「性は政治」として山本宣治(山宣)を紹介しました。抑圧された労働者や農民の中に入った山宣だからこそ、彼らの立場から、暮らしやいの ちを守ることを貫いたのでした。しかし、今回の選挙に出たセクシャルマイノリティの候補者には、少し思うことがありました。
 「性は政治」はセクシュアリティの問題でも同じです。運動ではこれまで、「可視化」に重点が置かれてきました。「カミングアウト」がそうですし、パレー ドはその最たるものです。「We are here」とアピールしたのです。しかし、「可視化」だけになってしまうと、そこでの主張のみがゲイを代表する もののように見え、矛盾が起きかねません。
 例えば「同性婚」。私がかつて教員だった時は、討論の題材によくとりあげました。しかし、いま講師をする際は、同性婚の話は最小限にしています。それが 困難を抱える当事者が求めていることと一致しているか? むしろかえって非現実的支援となりかねない、と思うからです。
 「同性婚」を主張する当事者の多くは、地域や組織にかかわりを持たずとも生計が維持できる人です。中小企業などで働く圧倒的多数の当事者は、同性婚どこ ろか職場等でカミングアウトすらできません。まして非正規などの不安定雇用の当事者たちに、どんな意義があるのか。人間として働ける環境があり、職場の仲 間との関係性が築けていて、“同性パートナーがいること”が日常にならない限り、同性婚は「絵に描いた餅」です。
 政治家として、このことを選挙などで主張する当事者がいるとすれば、現実社会の理解が足りないか、発言できる環境にある(経済的基盤がある)当事者だか らこそではないかと思います。セクシャルマイノリティをカミングアウトした政治家の誕生はいいことですが、「発言できる当事者」は、声を出せない当事者に 心を寄せているのか。自戒をこめて思います。
 発言する当事者の足元を見ると、発言や主張が現実的なものかどうかが分かります。私は、声を出せない当事者とともにあって、新たな関係性を切り結ぶために地域や組織とのかかわりを作っていきたいと思います。


すぎやま・たかし 尼崎医療生活協同組合理事会事務局課長、法人無料低額診療事業事務局担当、社会福祉士。著書に『自分をさがそ。多様なセクシュアリティを生きる』新日本出版社、『「性の学び」と活かし方』日本機関紙出版センターほか

(民医連新聞 第1586号 2014年12月16日)