リアル社会を生きるゲイ職員の性講座(11) 文・杉山貴士 性的マイノリティの人権確立のための視点〈2〉
性的マイノリティは市場価値のある存在なのか。“市場価値があるから擁護する”という図式は「市場価値がなくなれば、価値はなし」になりかねません。それは人権という観点で語れるものではありません。思い起こすのが、活動家であるマサキチトセさんがが指摘する大阪市公募区長の例(※)です。
大阪市は2012年、区長を公募し、話題になりました。“売り”は、特色ある政策を進めること。淀川区は「LGBT(性的少数者)支援宣言」を行い、職員研修をはじめ、相談活動等にも力を入れ注目されています。区庁舎にLGBTの象徴である6色の虹の旗がはためく様子は、メディアでもよく紹介されています。最近はLGBT相談事業も始めました。行政が率先して支援を行う実践には感服します。しかし性的マイノリティの人権に敏感だから、他の人権全般にも敏感かというと、そうではないのです。
例えば、生活保護バッシングの先端を走っているのもまた淀川区です。区長は、生活保護受給者すべてを不正受給者予備群とみなすかのような言動をし、受給者への脅しでしかない連絡・通知もしています。人権感覚があるなら、決してできないものばかりです。生活保護受給者には性的マイノリティはいないのか。市場価値のない性的マイノリティは対象外なのか。
「性的マイノリティの人権擁護が、ややもすると人気取りや免罪符になってはいないか?」と考えることも必要だと、淀川区の例は語っています。思うのは「擁護を主張する人の足元はどうなのか」の視点が大切ということ。
性的マイノリティの内実を理解せずに「権利擁護」を主張することが、市場価値のある(=経済的に困っていない)性的マイノリティだけを擁護することになり、結果として、私たちが対峙すべき新自由主義の一翼をささえることになりかねない。普遍的な人権としてどう考えるか、格差と貧困の視点からの考察こそが必要です。
さて、難しい話はこのくらいにして、次回は、私がどんなふうに仕事や生活をしているか、をお話ししますね。
※マサキチトセBlog「『LGBT』フレンドリーなら何をやってもいいのか?」(2014年5月2日)http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/5696
すぎやま・たかし 尼崎医療生活協同組合理事会事務局課長、法人無料低額診療事業事務局担当、社会福祉士。著書に『自分をさがそ。多様なセクシュアリティを生きる』新日本出版社、『「性の学び」と活かし方』日本機関紙出版センターほか