戦争反対 いのち守る現場から 日本赤十字看護大学名誉教授 川嶋みどりさん 尊厳ある生をささえる看護 悲劇への想像力を働かそう
安倍政権の暴走に、もはや黙ってはいられないと声をあげる医療者たち。二回目は、日本赤十字看護大学名誉教授の川嶋みどりさんです。(新井健治記者)
日本が一五年戦争に突入した満州事変の年に、韓国のソウルで生まれました。銀行員だった父は、日本軍の占領に合わせて次々と転勤。私も朝鮮半島や中国の学校を転々とし、終戦は北京で迎えました。
一年近くかけてなんとか帰国しましたが、途中で中国に置き去りになる可能性もありました。命からがら引き揚げてきた私は、理屈ではなく本能として戦争はいけないと感じています。
集団的自衛権の行使容認で憲法九条をないがしろにすれば、いずれ基本的人権や国民主権など憲法の他の基本理念もなし崩しにされます。生まれてから一五年、ずっと戦争の中で暮らした私の直感です。
日赤看護大学勤務中は立場上、政治的な発言は控えてきました。名誉教授になった今、「戦争を体験した私が声をあげなければ、誰が言うのか」という気持ち です。「4・24ヒューマンチェーン」と「アベ NO THANK YOU!」の呼びかけ人になったのも、安倍政権の暴走を食い止めたい一心からです。
看護はTE・ARTE(て・あーて)
看護師になって六三年、ずっと「看護とは何か」を問い続けてきました。病気や障害、高齢にかかわらず、誰もが「生きてきて良かった生」を全うすることを支援するために看護はあります。生命の積極的肯定をめざす看護は、平和があってこそ実現します。
看護師の原点は、触れ、癒やし、慰める“手”にあります。辛い時に背中をさする、汚れた体を拭く、硬直した手足をマッサージする、その手が患者さんの自然治癒力を引き出し、回復を早めるのです。
ところが、今の看護師は機器の操作に追われ、手を通して患者さんとふれあう機会が極端に減っています。看護の原点を取り戻すため、手と技術(ART)を 組み合わせた「TE・ARTE」の概念を世界に広げています。
暮らしを失った日本
東日本大震災から一カ月後、引退した看護師仲間と被災地支援を始めました。一般社団法人「日本て・あーて(TE・ARTE)推進協会」として、今も活動を続けています。
被災地では大勢の被災者が仕事や自宅を失いましたが、最もダメージを受けたのは“暮らし”です。家族とのたわいのない会話や食卓での団らん、小さな喜びや悲しみの共有、そんな普通の生活が奪われました。
最近、「暮らしの喪失は、日本全土に及んでいるのでは」と気づきました。日常生活のなかで便利さが優先され、育児や調理などのプロセスが省かれているような気がします。
人間の営みは、そもそも非効率です。看護においても、患者さんが徐々に回復する過程をともに体験するからこそ喜びがあります。時間がかかったり面倒だとしても、そこに本質があります。
暮らしや看護など、人が人をケアするプロセスには共感が生まれ、想像力が育まれます。想像力があれば、安倍政権のおかしさに気づくはずです。
若者とともに声を
今から三五年前、二〇歳だった息子を事故で亡くしました。以来、毎日欠かさず、遺影の前に 彼が好きだったコーヒーを供えています。その後、母と夫も看取りましたが、子どもの死は悲しみの質が違う。三五年経った今も、アルバムを見ることができま せん。ひとたび戦争が始まれば、子どもを失う悲劇は日常になります。
中東のガザでも、毎日、たくさんの子どもが亡くなっています。ガザのニュースを見た時に、戦火に怯える子どもの姿を想像できますか。
看護教育を通して多くの若者と接してきました。今の若者は、理屈が分かればリスクがあっても行動を起こすと感じています。希望は失っていません。ともに「命と平和を守ろう」と声をあげましょう。
かわしま・みどり 日本赤十字看護大学名誉教授、健和会 臨床看護学研究所所長、東京看護学セミナー世話人代表、日本看護歴史学会理事長。1931年、韓国・京城(現ソウル)生まれ。1951~71年、日本赤十 字社中央病院勤務。2003~11年、日本赤十字看護大学教授(看護学部長)。第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。『看護の力』(岩波新書) など著書多数
(民医連新聞 第1579号 2014年9月1日)