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民医連新聞

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だから安保はいらない (9)沖縄略奪の歴史 国際法違反の住民追い出し

 五月一九日付の本連載で指摘したように、在日米軍基地の七四%が沖縄に集中しています。なぜでしょうか。
 戦争末期、沖縄は地上戦の戦場になりました。日本軍は沖縄戦に備えて六カ所の飛行場を建設。沖縄に上陸した米軍は、さらに八カ所の飛行場をつくったとい われています。その多くが、今の米軍基地のもとになっています。
 沖縄を占領した米軍は、戦後の戦略拠点とするために基地づくりを始めます。沖縄戦の最中から住民を収容所に隔離、土地を略奪して基地を建設したのです。 住民が収容所から戻ると、集落がなくなって米軍基地になっていました。
 一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効、日本は形式上の独立を回復しますが、同時に沖縄は切り離されて米軍統治下に入ります。米軍はアジアにおけ る戦略拠点として、核兵器や毒ガスも使える基地を沖縄に建設しました。
 講和条約が発効したころ、朝鮮戦争の予備部隊として日本本土に配備された海兵隊員が各地で事件を起こしました。そこで日米両政府は、海兵隊を本土から沖 縄に移すことを決定。米軍は五三年に土地収用令を発して、海兵隊基地建設に向けて土地接収を始めます。
 住民は激しく抵抗しましたが、五五年から「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出して基地建設をすすめます。小禄村(現・那覇市)では、装甲車一五台、機 関砲一〇数門と三五〇人の米兵が一万五〇〇〇坪の田畑を略奪。伊江島では上陸用舟艇三隻で三〇〇人の米兵が上陸、民家を焼き払いました。
 宜野湾村の伊佐浜では、数百人の米兵に守られたブルドーザー数十台が農地を踏み荒らして民家を破壊し、「沖縄一の美田」といわれた一二万坪の土地を強 奪。家財を持ち出すいとまさえ与えませんでした。米軍の略奪行為は、「私有財産は没収できない」とした国際法のハーグ陸戦条約四六条に明確に違反します。
 七二年に沖縄の施政権が返還され、県民は米軍基地が撤去されると期待しました。しかし、安保条約により日本は米軍に基地用地を提供しなければなりませ ん。日本政府は五年の時限立法である「公用地暫定使用法」を制定して米軍の基地使用を許可。五年後の七七年には、再び五年の時限立法「地籍明確化法」を制 定。さらに五年後の八二年には無期限の「米軍用地収用特別措置法」を定め、今も基地は撤去されていません。
 町の八割を基地が占める嘉手納町のほか、金武町、北谷町、宜野座村はいずれも基地面積が五割を超えます()。沖縄本島の二割近くが米軍基地に占領されているのです。
 安倍内閣がすすめる辺野古新基地建設に対し、沖縄県民が「これ以上基地はつくらせない」と怒るのは当然なのです。

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(安保破棄中央実行委員会)

(民医連新聞 第1577号 2014年8月4日)