ゲンとともに平和をつくる 40年読み継がれる少年漫画
戦中、戦後の広島を舞台に、原爆被害を正面から描いた漫画「はだしのゲン」。昨年来、小中学校の図書室から同書を撤去し、閲覧を 制限しようとする動きが続いています。集団的自衛権が閣議決定され、「もはや戦前」との声があがる状況と無関係ではありません。ゲンが四〇年前から問い続 けてきた「戦争とは何か」について、作品を広げる人たちと考えました。(新井健治記者)
「はだしのゲン」(以下ゲン)の内容は知らなくても、目にした人は多いはず。小中学校の図書室に置かれている数少ない漫画だからです。東京都大田区の小学校教師、堀江理砂さんは「いつも貸し出し中。いったん読み出すと、どの子も夢中になります」と言います。
焼けただれた皮膚をぶら下げて歩く被爆者や、傷口に蛆(うじ)がわくシーンなどで、原爆投下直後の実態を生々しく描きます。それでも、子どもを惹きつけ るのは「どんなに苛酷な状況でもユーモアを忘れず、たくましく成長する主人公に憧れるから」と堀江さん。
全一〇巻のうち三巻までが戦中で、四巻以降は貧困や差別、暴力など戦後の混乱期が舞台です。悲惨な境遇から自暴自棄になったり、貧しさにあえぐ人を見捨 てる利己主義を描写。主人公は貧困や差別に負けず、人を信じ、優しく強く生きていきます。
「今の子はテレビゲームで簡単に人を殺してしまう環境で育っている。本当に戦争が起きたらどうなるのか、リアルに捉えられるゲンは貴重な“教科書”です」(堀江さん)。
学校にゲンを贈る医師たち
「核戦争を防止する石川医師の会」は二〇一一年から毎年、県内の小中学校にゲンを寄贈、四年間で計五八校になりました。
同会代表は城北病院(石川民医連)の白﨑良明医師。「幅広い国民がゲンを支持するからこそ、戦争をしたい勢力は都合の悪いものを隠そうとする。閲覧制限 を上回る運動でゲンを普及することが、核兵器廃絶を願う私たちの役割」と言います。
白﨑さんは健生クリニックの所長時代、職場に「九条の会」をつくり、内科と小児科の待合室に全巻を揃えました。「ゲンは核兵器廃絶の絶好の教材であると ともに、子どもたちが生きる力を身につけることができる手本です」。
ゲンには治安維持法による弾圧や在日朝鮮人差別など、戦争が起きる仕組みも詳細に描かれます。「再び戦争に向かおうとする時代。子どもの時に目にした職 員も、あらためて読んでみてほしい。きっと新たな発見があります」と呼びかけます。
世界にはばたくゲン
同会とゲンの翻訳・普及グループ「プロジェクト・ゲン」、石川県生協連の有志が二〇一三年五月、NPO法人「はだしのゲンをひろめる会」を設立しました。
プロジェクト・ゲンの浅妻南海江(なみえ)代表は、ロシア人が涙を流しながらゲンを読む姿を見て「ヒロシマ・ナガサキの言葉は世界中に知られているが、 被爆の実相は伝わっていない」と翻訳を決意。一九九四年からボランティアで英語、ロシア語に訳し、パソコンで画像データを作って各国に普及してきました。
英語版を読んだ米国の一四歳の少女が「教科書には原爆の真実が書かれていない。今まで何も知らなかった自分が腹立たしい」と手紙をくれました。「米国で はいまだに、原爆が戦争を終わらせたと信じている人が大勢います」と浅妻さん。プロジェクト・ゲンが英語版データを提供するなど協力、ゲンはこれまでに二 一カ国語に翻訳され、年内にはアラビア語版第一巻が完成します。
七人の子どもを育てた浅妻さんは、閲覧制限について「世界中がゲンに注目する時代に、なぜ日本は逆行するのか。戦前のモノ言わぬ教師と同じ過ちを繰り返 すのでしょうか。教師は学校現場にゲンを置き、二度と戦場に子どもを送らない決意を示してほしい」と話しました。
はだしのゲン
中沢啓治が被爆体験をもとに描いた自伝的漫画。広島市舟入本町に住む国民学校(小学校)2年生の中岡元が主人公。原爆で家族を失った元が、貧困や差別に 負けずたくましく生きる。沖縄戦の集団自決や天皇の戦争責任、中国での日本軍の蛮行、戦後のレッドパージも描かれる。
1973年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載開始、75年に汐文社から単行本が刊行された。発行部数は650万部超。最終10巻は中学を卒業した 元が東京に行くシーンで終わる。中沢さんは2012年に亡くなるまで続編を準備していた。
どう見る?閲覧制限
日本図書館協会 西河内さん
昨年から県や市議会に対して、学校図書室から『はだしのゲン』の撤去を求める請願、陳情が相次いでいます。こうした動きの発端となった島根県松江市では、請願は不採択だったものの、同市教育委員会が小中学校に閲覧制限を求め全校が応じました。いわば自主規制です。
日本図書館協会「図書館の自由委員会」委員長で、滋賀県多賀町立図書館前館長の西河内(にしごうち)靖泰(やすひろ)さんは「特定の本を撤去することは、図書館の原則からしてあり得ません」と指摘します。
図書館の使命は知る権利の保障
同協会は全国の図書館が加盟する公益社団法人。1954年の「図書館の自由に関する宣言」 で、図書館の基本的任務は「国民の知る自由(知る権利)を保障すること」と決めました。「人類の知的生産物を収集し未来につなげるのが図書館の役割。本の 善し悪しを判断するのは未来の読者にしかできません」と断言。
松江市教委は「描写が残酷」として閲覧制限を決めました。ゲンが普及し始めた1980年代から、同じ理由で否定的な声もありました。作者の中沢啓治さん と生前、交流のあった西河内さんは「読者が恐怖感を感じてくれなければ、原爆がもたらしたものは伝わらない」と聞いていました。
請願や陳情を提出するのはネット右翼や右派勢力ですが、そもそもゲンを普及したのは、思想信条に関係なく原爆の恐ろしさをゲンを通して実感した人たちで す。「教委や学校現場は“中立”を勘違いしているのではないか。どんなイデオロギーにも、いかなる立場にも一方的に屈してはならないのが中立。妨害に耐え ながら、原則を守り通すのが図書館の使命です」。
とことん現実を描いた
西河内さんは被爆二世です。20代で肝臓病を発症、全国肝臓病患者連合会の会長も務めま す。連載当時、ゲンの単行本化の予定はありませんでした。このまま埋もれていいのかと、被爆二世や被爆した教師が運動し単行本化が決まりました。教師が普 及にとりくんだこともあり、学校図書室に置かれています。
ゲンの魅力について、少年漫画の本質ともいえる“下品”な言葉遣いを挙げます。「子どもは下品なものに引かれる。下品とはいっても、それが現実だったん です。中沢さんは被爆の描写をはじめ、とことん現実を描いた」と西河内さん。
連載当時、漫画という表現に対する社会の評価は低かったそうです。「漫画とはいえ妥協しない姿勢を中沢さんは貫いた。子どもは手抜きを見抜きます。妥協 を許さない作風が40年経っても色褪せない魅力」と話しました。
(民医連新聞 第1577号 2014年8月4日)