“報道の見方”とは(下) 武蔵大学教授 NHK元プロデューサー 永田浩三さんに聞く 「公共放送」NHKは誰のもの?
“報道の見方”を考える二回目は、「公共放送」であるNHKの問題から。(丸山聡子記者)
NHKがおかしい
「NHKの報道がおかしい」と多くの人が感じています。秘密保護法や集団的自衛権の見直しなど憲法の問題、安倍首相の靖国神社参拝など、どのニュースも首相の顔色を見ているような内容になっています。
政治家の圧力によって報道の内容が変えられることは絶対に許されませんが、そうでなくても、報道する側が政権をおもんぱかり、自主的にその意向に沿うような報道にしているとしたら、たいへん問題です。
NHKの経営委員は衆参両院の同意を得て総理大臣が任命します。経営委員会が会長を任命します。今の経営委員会のうち四人は安倍首相が選んだ“お友達” で、再任も合わせると五人が安倍首相に近い人物です。政権の息のかかった人たちが実質的に経営委員会の鍵を握っています。彼らが任命した籾井(もみい)勝 人会長が「慰安婦制度はどこの国にもあった」と発言し大問題になっていますし、経営委員会は事業計画から編成方針などを決定し、NHKを動かしている。異 常な事態と言わざるを得ません。
これほど露骨な人事は初めてです。放送は国民の財産であり、民主主義を発展させる“道具”です。首相の私物ではないのです。
NHKは「公共放送」であり、「国営放送」ではありません。国営放送は国家予算で運営され、国家権力が放送内容を決定します。戦前、大本営と一体だった NHKは、事実上の国営放送でした。その反省のもと、戦後のNHKは国家権力から独立し、国民からの受信料で運営しています。
国会が経営委員人事の同意や予算の承認をするのは、国会が視聴者の代表であるという建前からです。しかしそれこそが、政治介入を許す根本的な弱点でもあります。
報道はなんのために
民主主義とは、多数の意見を政治に生かすことと同時に、少数の意見も大事にすることです。報道には、少数者の声、とりわけ声をあげられない人たちの声をていねいに拾い、積極的に伝える責任があります。
被害に遭う人たちはいつも少数者です。水俣病患者や被爆者、ハンセン病患者、民族的マイノリティー…。そういう人たちはしばしば誤解され、排除されてきました。ゆえに口を閉ざしていることも多い。
日本軍「慰安婦」の事実は、一九九一年に韓国の金学順さんが初めて実名で公表するまで、世界的に共有されてはいませんでした。
なぜこんな目に遭ったのか、なぜ言えなかったのか、わずかな言葉を伝える言葉にしていくことが、メディアの役割であり責任です。
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水俣病や被爆について、有機水銀や原爆との因果関係が明確ではないからと、被害者が切り捨てられてきた歴史があります。しかし現時点で因果関係が 分からなくても、人生に影を落とし、症状に苦しんでいる人たちがいる。「証拠がないから問題ない」と突き放すことは科学的ではありません。苦悩や懸念を共 有し、どうささえるか考えることこそ科学的な態度です。原発事故の被害も同様です。
メディアには「予防原則」があります。「幸せを脅かすものは、オオカミ少年になってもかまわないから危険性を警告せよ」です。
世の中には、まだ分からない領域がたくさんあります。そのことに謙虚にならなければなりません。取材者はまず現場に足を運ぶことです。外から見るだけでは真実に近づけません。
残念ながらこうした報道姿勢は弱まっています。ニュースを見ると、領土問題や戦後補償、日中・日韓問題、北朝鮮バッシングなど、狭いナショナリズムに覆われている気がします。
視聴者の声を届けて
視聴者である国民も、「NHKはもういらない」ではなくて、意見を言い、ひどい報道には抗議し、関わってほしい。NHKに届いた意見は、一つ残らず現場に報告されますから。
いい番組にはエールを。現場は常に視聴率とのせめぎ合いです。しかし、視聴率はとれなくても、届けるべき番組がある。「良かった」という視聴者の声が制作者を励ましますし、番組編成にも影響を与えます。「国民の財産としてのNHK」を取り戻しましょう。
番組改変の真実
二〇〇一年、日本軍「慰安婦」問題を描いた番組が放送直前に改変されました。当時番組の編集長だった永田さんが、何が起きたかを詳細に記した一冊です。
『NHK、鉄の沈黙はだれのために~番組改変事件10年目の告白』(柏書房、2000円+税)
(民医連新聞 第1570号 2014年4月21日)