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民医連新聞

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リアル社会を生きるゲイ職員の性講座 文・杉山貴士 (2)「等身大のゲイ」と社会運動との出会い

 私は、セクシュアリティによって進路や人生が左右されると経験的に感じています。私の場合、ゲイ団体での社会運動との出会いがあったからこそ、今のように仕事ができると思っています。初めて出会ったゲイによって、ゲイへの認識や行動が決定付けられるような気がします。
 思い出すのは、繁華街で出会った先輩ゲイによく言われていたことです。「ここで生き残るには、『若さ』『容姿(きれいさ・かわいさ)』『カネ』『(悪) 知恵』のどれかが必要なんだ」と。いまになってみると、その先輩はなんて残酷なことを言ったのだろうと思います。
 ゲイ同士は普通に出会えないがゆえに、出会ったゲイから大きな影響を受けます。繁華街でちやほやされて、そこが心地良い居場所となってしまえば、普通に 働けなくなったり、人とのかかわりも持てなくなる恐れがあります。私はゲイ団体で「等身大の人間」として関係性を築けたことが、今のような生活の基礎とな りました。社会運動とのかかわりもそうでした。「ゲイは人権の問題」との視点をもらったのが、当時たたかわれていた「府中青年の家事件裁判」(※)です。 事件に直接関わってはいませんが、私も同じような合宿に参加する中で、自分を取り戻し、その大切さを実感していました。
 実は当事者自身も「セクシュアリティは人権の問題」とはなかなか考えられません。ゲイを異常・変態・逸脱ととらえ、いじめや差別の対象にされても、本人 は「気持ち悪い存在なのだから仕方がない」と思い込んでいるのです。多様な存在の一人として自分を受け入れられず、ゲイを忌避してしまう当事者にとって、 セクシュアリティを人権と考えるには時間が必要です。私も、活動や裁判闘争支援を通して「ゲイである自分」を受け入れていくことができましたが、一方で、 当時は社会人としてどう生きていくのか、展望が見いだせていませんでした。

※1992年、ゲイ団体の「青年の家」利用を東京都が拒否した事件。95年東京地裁、97年東京高裁ともにセクシャルマイノリティの権利を擁護し、都の宿泊拒否は許されないと断罪、原告の勝訴が確定。諏訪の森法律事務所「府中青年の家裁判」に詳しい。http://www.ne.jp/asahi/law/suwanomori/special/supplement3.html


すぎやま・たかし 尼崎医療生活協同組合理事会事務局課長、法人無料低額診療事業事務局担当、社会福祉士。著書に『自分をさがそ。多様なセクシュアリティを生きる』新日本出版社、『「性の学び」と活かし方』日本機関紙出版センターほか

(民医連新聞 第1570号 2014年4月21日)