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民医連新聞

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書評 莇(あざみ)昭三業績集 いのちの平等を拓く ―患者とともに歩んで60年 評 全日本民医連副会長 吉中 丈志 汝の立つところを深く掘れ そこに泉がある!

 莇昭三先生は全日本民医連の名誉会長である。全日本民医連のトップとして活動して来られた。民医連運動を推進されて来た歴史の節々で語られた内容 を収めたのが、本書である。私などにとっては、教えていただくことの他ないと言ってよい。民医連運動の発展における医師・莇昭三の人間発達の歩みに感銘し た。「いのちの平等を拓く」というタイトルが、それを物語っているように思う。人間・莇昭三とでも表したい気持ちから、以下では氏と呼ばせていただくこと にする。
 医療は、患者と医療従事者の共同の営みである。今では日本医師会も同様のことを述べている。患者会活動など、氏の医療活動の経験からつかみとられたこの 考え方が、「医療は医学の社会的適用」だとする医療界の常識をくつがえした、と言える。「患者とともに歩んで六〇年」のマグマが、山梨勤医協の倒産を機 に、氏によって社会に放たれたという経緯が知れる。
 患者との歩みから氏がくみとったことは、責任ということであった。患者の権利に照応する医師の義務である。医療者と言い換えてもよい。本書は、医師の社 会的責任が、薬害、戦争と医学、反核平和など広く語られていることが特徴だ。戦争と医学についての探求は、医療界屈指の内容である。平易に書かれているの で読みやすく、入門書として他にないものである。
 平和と人権尊重の新しい福祉国家を実現するためには、医療者と国民の信頼を強めることが不可欠だ。私たちが深めるべき課題が示されていると思う。
 氏が内灘闘争()を一緒にたたかった八田ことさんのエ ピソードは胸を打つ。八田さんは出張診療所に家を貸してくれた患者だ。彼女が城北病院の外来に来なくなったことに気づいた氏は自宅を訪ね、彼女が「老人病 院」に入院していることを突き止める。見舞うと、彼女から「先生は面倒を見てくれなかった!」と言われ、氏はショックを受ける。これが特別養護老人ホーム をつくろうと決意したきっかけだと紹介されている。
 人間・莇昭三の原点がここにある。「汝の立つところを深く掘れ。そこに泉がある」「他人のためにつくすこと」。氏の言葉は私たちの人間発達を励起する。


※内灘闘争 朝鮮戦争開始2年目の1952年、アメリカ軍が石川県沿岸の砂丘・内灘を試射場としようとした。寒村の漁師と妻らは抗議し立ち上がった。民医連は当初から医療班として闘争を支援。内灘診療所建設につながった。


〔年表〕
1927 石川県に生まれる
1945 海軍兵学校在学中に終戦
1952 金沢大学医学部卒業(内灘基地接収反対闘争)
1953 内灘診療所所長
1969 全国スモンの会結成「SMON病の6例」「慢性疾患の管理によせて」
1974 「民医連と青年医師の『研修』」
1976 「スモン闘争の現状と任務」
1978 全日本民医連副会長
1982 全日本民医連会長(~92年)
1983 山梨勤医協倒産
1987 「薬害エイズにおける医師・医学者の責任」「核凍結から核廃絶への歴史的転換―IPPNWの軌跡」
1992 全日本民医連名誉会長(~現在)
2000 『戦争と医療』
   (「 」内は主な論文)